茶人
千利休
〒590-0958 大阪府堺市堺区宿院町西1丁17−1
行ってきました、そうここは。商人であり茶人で名を馳せた「千利休」の屋敷跡。
戦国時代から安土桃山時代に掛けて茶道を極めた偉人ですね。
1569年ごろ、堺が織田信長の直轄地となり、信長に茶堂として採用されたことから茶の道が始まったとか。その後、本能寺の変を経て豊臣秀吉に仕えることとなるのですが、70歳の時に、このころ三千石を手中に収めていた千利休は名声と権威を持ち、政に口を挟む(朝鮮出兵に反対したりとか)ようになっていたとか。
諸説あるようですが、突然秀吉の逆鱗に触れて切腹を命ぜられてしまうのです。この時、周囲を警護していたのは越後の龍と称された上杉謙信公の跡目である上杉景勝軍だったそうです。よっぽどの厳戒態勢だったのでしょうか。
九州地方の大大名であった「大友宗麟」は秀吉から「公儀の事は私に、内々の事は利休に」と忠告されたとか。