ココに来たらこれでしょ!
- 2019年4月13日
- 読了時間: 4分
更新日:5月17日
旨味 太助
夜の国分町はいつだって少し危険だ。特に雨の国分町はろくなことがない。ただそう決めつけていたのはたぶん仕事のせいだ。
濡れたアスファルトにネオンが滲み、酔客たちの笑い声が路地の奥へ吸い込まれていく。客引きの声は煙草の煙のように漂って消える。
この街には、だいたい人間の弱さみたいなものが転がっている。煙草、香水、酒。その匂いが混ざる街角で、ひときわ凶悪な匂いを放つ店があった。

炭火だ。それも上等な肉が焼ける匂いだ。これはたしか牛タンが焼ける匂いだ。匂いという目に見えない道先案内人に連れられて、気が付けば一軒の店前に立っていた。
ココに来たら
けだるく顔を上げると古びた暖簾が目に入った。「旨味 太助」と書いてある。
暖簾を潜った瞬間に異世界に放り込まれたと気づく。まるで「表」と「裏」、「陰」と「陽」を隔てる境界線の入り口だったのだ。
店の中は騒がしくない。炭が爆ぜる音と低い話し声だけが流れている。目を移せばカウンターの向こうで職人が黙ったまま牛タンを黙々と焼き続けていた。
正直に言おう。いい店だと思った。本当にうまい店の職人は、余計な愛想を振りまかないものなのだ。
目の前で焼くその手際は、とにかく段取りが素早い。店主の手慣れた箸さばきで見る見るうちに焼けて行く。しかも丁度いい、そう絶妙なタイミングでひっくり返されるのだ。
途切れることのないその匂いを嗅いだ瞬間、まともな理性は役に立たなくなる。腹が減っていようがいまいが関係なかった。獣の如く胃袋が騒ぎ始め、抑えきれるものでは到底なかった。
〒980-0803 仙台市青葉区国分町2-11-11
――「負けた」と思った。何に負けたのかわからないまま牛タン定食を頼んだ。
仙台の牛タンには、妙な歴史がある。
戦後の混乱期、誰も見向きもしなかった牛の舌を、ある料理人たちが拾い上げたのだ。無駄を嫌ったのか、執念だったのか。厚く切り、塩を叩き込み、炭火で焼く。
ただそれだけの料理だった。ただそれだけで人間を黙らせる料理になった。だが、その単純さが危険だった。
しばらくしてお膳が届いた。分厚い牛タンが並んでいる。表面には美しい焼き目。湯気の奥から獰猛なくらい食欲を刺激する香りが立ち上る。ひと口噛む。
――「やられた」と思った。こういう味には理屈など存在しない。
強火で焼かれた表面は、カリッと音を立てるほど香ばしい。そのくせ、中には肉汁を閉じ込めたまま離さない。
噛めばジュワッと脂が滲み、遅れて濃厚な旨味が追いかけてくる。一度知ったらもう二度と元居た場所へは引き返すことはできない。悪魔との取引のようでもあった。
仙台の人間が牛タンにうるさいのはそのせいだ。

飯を口へ運ぶ。テールスープで流し込む。また牛タンを噛む。気づけば仕事のことなど忘れていた。
今の仕事をしていると人間の裏側ばかり見ることになる。裏切り、欲望、見栄、後悔。そんなものばかり追いかけていると舌まで薄汚れてくる。
だが、うまい料理には救いがある。誤魔化しがない。ただ旨い。それだけだ。
そして国分町。この街は昔からうまい店だけが生き残る。酔っ払いも、遊び人も、ホステスも、出張帰りのサラリーマンも、どこぞの社長さんも。みんな最後は腹を空かせて、この街をさまよう。
その連中を、何十年も黙らせてきたのが「旨味 太助」の牛タンだ。
店に入れば、空気が違う。炭が爆ぜる音。網の上で滴る脂。職人の無駄口は相変わらず少ない。焼き台の向こうに立つ背中が語る“本物”に気付かされる。
運ばれてきた牛タンは分厚い。かなり分厚い。だがナイフはいらない。噛み切るたびに、肉の繊維から旨味が溢れ出す。
また飯をかき込む。テールスープで流し込む。また牛タンを噛む。気づけば無言になっていた。
うまい店ってのは、結局そういうことだ。感想なんて要らない。食ってる間は人間を黙らせるものだ。
国分町のネオンは相変わらず胡散臭く光っていたが、夜風に当たりながら店を出る頃には、腹も心も妙に満たされていた。
だが厄介なのはそのあとだ。腹の奥には先程の炭火の熱がまだ残っているのだ。
数日後。いや、早ければ翌日の深夜。ふと炭火の匂いを思い出す。あの肉の音。あの塩気。あの危険な旨味。
たぶん人間ってのは、こういう店を見つけるために夜の街を歩くのかもしれない。コートの襟を立て、湿った路地を歩き出した。背中にはまだ「旨味 太助」の煙の匂いがまとわりついていた。
仙台牛タン焼の始まりは昭和23年に初代店主が専門店を開いたのが最初だという。ここ「旨味 太助」は創業以来、塩が牛タンの旨さを最大限に活かすと言う。よって塩味のみのメニュー構成なのだ。ココに来たら一度ご賞味くだされ。
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