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桜田烈士

  • 2021年3月26日
  • 読了時間: 5分

更新日:4月17日


大老 井伊直弼



国宝「彦根城」別名:「金亀城」とえば井伊直弼。井伊直弼といえば「日米和親条約」・「日米修好通商条約」・「安政の大獄」・「暗殺」といったワードが頭の中に浮かび上がります。


桜田烈士とは、水戸藩脱藩浪士17名および薩摩藩士1名(有村次左衛門:井伊直弼の首を刎ねた人)のことで、彼らによる大老:井伊直弼の暗殺による事件が「桜田門外の変」です。桜田門は江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つです。


〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1−1

青空を背景にした日本の城の白く美しい屋根が印象的で、穏やかな雰囲気が漂う。

井伊直中の十四男として32歳まで彦根で暮らした後、家督相続時に奇跡が起きて彦根藩の後継者となり江戸に召喚された井伊直弼でしたが、幕末においての政治で結果的に「朝廷を無視」した形となって「日米和親条約」へ調印してしまいます。


井伊直弼の対応に憤った薩摩藩主:島津斉彬は藩兵2,500人を引き連れて上京し、御所を守護して幕府の無勅許調印を元に戻すための勅許を得ようとする計画が事件の発端です。




もともとは勅許なしの条約調印には反対であった井伊直弼でしたが、諸外国との交渉に時間をあまり掛けられない状況にあり、止むえないところはあったようです。しかし後の祭り。


水面下では既に「朝廷をないがしろにする井伊直弼への怒りと尊王攘夷思想も重なり」暗殺計画が。


桜田門外の変(桜田烈士)

実はこの暗殺計画は幕府側にもしっかり漏れており、側近から井伊直弼へ忠告がありました。


が、それにも拘らず井伊直弼は大老を辞職することも、従兵を増やすこともなくそのまま駕籠に揺られて江戸城へ向かった際に起こった午前9時の悲惨な事件でした。


石畳の階段が木々に囲まれ、右側に竹垣が続く。奥には石垣が見える。古風で静かな森林の雰囲気。

ここ彦根城は、現存天守が国宝と指定されている5城の一つです。(他には松本城・犬山城・松江城・姫路城)1600年の関ケ原の戦いに勝利した際「徳川四天王」と称された一人「井伊直政」が息子「井伊直継」の為とし、徳川家康と相談して築城しました。


最初に与えられた戦利品の一つ「佐和山城」は居心地が悪かったのかもしれませんね。何といっても西軍の将:「石田三成」の居城だったのですから。



表門より現れるこの石段、実際に駆け上がろうとすると「踏面」「蹴上げ」の幅がバラバラで足元を見ながらじゃないと転んでしまいます。


そうなると、階上で待ち受ける敵兵から容易に狙われ絶命してしまうことは容易に想像でしました。


しかも、階段の中腹辺りでまだ全貌が見えてこないのです。登った先も左に曲がるため先が見通せません。


石垣の上に白い城、緑の木々が周囲に。石畳の階段が続き、静かな雰囲気。

見えてきましたが、もちろんここが天守ではありません。「天秤櫓」です。正面はもちろんのこと、側面からも狙われます。


四方八方から弓矢が無数に飛んでくるわけです。「弓矢」と言わず「ボーガンの鉄矢」として想像してみてください。絶対に引き返したくなりますね。


敵の攻撃をかわして登り切って道沿いに進むと「廊下橋」が見えてきます。


石垣と木製の橋が背景に広がる静かな庭園。橋の下の夕暮れ空が薄明るく、枝がシルエットを描く。

この橋は今でこそ丈夫に築造されていますが、当時は敵の襲来に備えて通行遮断が出来るようにいつでも落下させられる設計がなされていました。


石畳の階段が続く城跡の風景。石垣が左右にそびえ、中央には桜が咲いている。穏やかな青空が広がる春の日。

橋の下をくぐり抜けて、橋のたもとを目指そうとすると、またもや階段です。しかも緩やか過ぎて非常に歩きにくく、しかも最終コーナーは「U字」のヘアピンです。


曲がり際を狙われたら「はい終了」です。「鐘の丸」と呼ばれています。


石垣と白壁の歴史的建物の前に木製の橋が架かる。青空と穏やかな雰囲気。橋上に注意書きの看板あり。

現在ではのんびり見てられますが、攻め入ったと考えると、まず身をかわす場所はありません。格好の標的となります。打ってくださいと言わんばかりの状況。


ここを突破するとなるとかなりの死者が出た事でしょう。


この写真よーく見ていたら、「建物土台の石垣は向かって右側が築城当時の打込みハギ積み、左側が江戸時代後期の改修による落とし積み」となっています。


木の壁に囲まれた階段の上に開かれた黒い金属の扉が見える。扉や階段の手すりには注意書があり、歴史的な雰囲気。

いよいよ本丸へ。えっ?何この階段?狭いし上部が見えないばかりか、60度以上の傾斜がついているではありませんか。


登りたくても結構きつい急斜面。上から鉄球でも落とされたら「ハイ行き止まり


木の壁に「矢狭間」「鉄砲狭間」の標識と説明文が掛かっている。三角形と長方形の穴があり、歴史的な雰囲気。

一番最初の写真では全く気付きませんでしたが「弓矢」や「鉄砲」の為の開口があるんですね。まあ、どこのお城にもあるんですが、実は「外からでは見えない工夫」がなされています。


それは「蓋をかぶせてある」というわけです。何処にも穴らしい場所は見当たりませんね。


木造建築の天井部分。太い梁が交差し、重厚感がある。自然の木目が見え、落ち着いた木の色が広がる。

この「」と「」の太さに唖然とします。しかも「」や「手すり」等の細部に至るまで時間を掛けてゆっくり曲げた後も見受けられます。


じつは彦根城は解体寸前でした。明治時代に入って「もう城はいらないから取り壊せ」といった命令「廃城令」が施行。


しかし、当時の面影が今日に残っているのは、明治天皇が明治11年10月に北陸巡幸を終えて彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。


青空の下、苔むした石垣がそびえる山の城跡。周囲は緑豊かな木々に囲まれ、穏やかな趣を醸し出している。

西側からの侵入もこの高い石垣を見れば、あきらめてしまいそうな感じです。ここも結構垂直に近い傾斜となっていて、真下からは天守はなかなか見えません。


攻め手の武士はきっと「いったいどこを目指せばよいのであろうか」と言ってたに違いありませんね。


苔むした石垣と緑の小道が続く風景。石垣の上には桜の樹が立ち並び、左側に案内板が設置されている静かな情景。

関所もあって守りは完璧ですね。難攻不落といわれるお城はたくさん見て参りましたが、まさに彦根城もその一城。さすが天下人徳川家康の威信にかけたお城だということがよくわかりました。



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屋外の像が台座に座っている。冬の木々と石碑が背景に見える。画像の中に日本語の文字が記されている。静かで荘厳な雰囲気。

大一大万大吉


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