豊臣亡き後、旗印は「大一大万大吉」
- 2020年11月21日
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「一人が万人のために、万人が一人がために尽くせば、天下は吉(幸せ)になる」
戦国時代、それは、力こそがすべてを決めるように見える激しい時代でした。しかし、その中で「信念」と「絆」を武器に生きた男がいます。その名は、石田三成。
豊臣政権五奉行の一人「石田三成」
ここは、豊臣政権五奉行 佐和山10万石の領土を収めたとされる歴史の授業でもしょっちゅう出てきた 戦国武将「石田三成」誕生地です。
25歳にして従五位の下の位を受けて、生涯秀吉に尽くした忠義に満ちた武将です。
〒526-0814 滋賀県長浜市石田町575
三献の茶
三成と秀吉の出会いは、まだ三成が若く、名もない一人の青年だった頃。ある日、鷹狩りに赴いていた長浜城主羽柴秀吉(後の豊臣秀吉公)が滋賀県の観音寺(伊吹山)にある寺に立ち寄った際、三成はお茶を差し出します。
しかしその茶の出し方がとても変わっていたのです。そしてそこに、三成のすべてが込められていました。
まずは1杯目、大きな茶碗に、ぬるいお茶をとうとうと注ぎました。理由として秀吉の喉の渇きは限界でした。まずは口いっぱいに飲んで水分補給をしてもらうため、飲みやすい温度と量を優先しました。
秀吉はこれを一気に飲み干し「もう一杯所望する」と頼みます。
そして2杯目は1杯目より少し温かいお茶を、茶碗の半分ほど注いで差し出しました。理由は渇きが癒えたところで、少しお茶の味も楽しんでもらおうと、温度を上げ量を減らしました。
秀吉は「先程の茶と違うな」と思いながら味わって飲みました。
最後3杯目は小さな茶器に、熱くて味わい深く、香りの立つお茶を少しだけ提供したそうです。相手の置かれた状況を瞬時に察して、どうすれば喜んでいただけるか、最適解は何かを考える思いやりや心配りに、秀吉は驚嘆するのです。
「この若者、ただ者ではない」こうして三成は、秀吉に召し抱えられることになるのです。

秀吉が天下統一へと突き進む中、三成は加藤清正や福島正則のような戦上手でもなければ、その経験すら乏しい非力な存在です。
三成は戦場ではなく持ち前の「頭脳」で秀吉を支えました。物資の管理、兵の配置、戦の準備、いわば“戦を勝たせる裏方”。目立たないが、絶対に欠かせない存在でした。
しかも、天下統一が目前に迫った今、武力よりも国の統治は最優先事項になってきたとも考えられます。
三成の徴用はそんな背景から、今後最も必要となる人材だと秀吉は先を見据えていたからだと思います。
しかし、その生き方は時に人から誤解されます。正義感が強く、ルールを重んじる三成は、ズルや不正を許さない。
だからこそ、敵だけでなく味方からも反感を買ってしまうこともありました。
今でもよくあることですが、傍からあれこれ口を挟み指図して、偉そうにふんぞり返っている上司に「それだけ考えが及ぶなら、俺の代わりにお前がやって手本を見せてみろ」って心の中で思いますよね。
三成も武闘派の加藤清正あたりから総スカンを食らっていたようです。それでも彼は自分を曲げませんでした。
「己一人が嫌われようとも、秀吉公安泰につながるならそれでよいのだ。自分は、秀吉様のためにあるのだ」その一心だったのではないでしょうか。強すぎますよ、個の精神力。

西軍の将
やがて秀吉が病死でこの世を去ると、時代は大きく動きます。天下の行方をかけた戦い、そう知らない人はいないであろう「関ヶ原の戦い」です。
三成は、豊臣の天下(秀吉の息子:秀頼)を守るために立ち上がります。しかし、かつての仲間たちの多くは、彼のもとを離れていきました。おそらく徳川が政権の実権を握れば長きにわたる戦国の世はついに終焉を迎えることになると感じていたかもしれません。
孤立無援に近い状況。それでも三成は戦うことをやめませんでした。「たとえ負けるとわかっていても、守るべきものがある」それが彼の選んだ道だったのです。

石田三成が眠っているとされる場所です。
1600年、日本の未来を決める戦い
関ヶ原の戦いが始まり、戦々恐々とする中、事前の調査で得た兵力差は三成優勢でした。しかし、味方の出陣がなかなか始まらないのです。
山の上から戦況を伺うものが多く、どっちに着くべきか思案に戸惑っていたからでした。
三成は西軍の中心として戦いますが、仲間のはずであった小早川秀秋の裏切りや不利な状況が重なり、戦いはわずか一日で決着してしまいます。
すべてを失ったその時でも、三成は言い訳をしませんでした。敗軍の将としてその責任を取り斬首刑となる直前、敵兵に「水を所望したい」と伝えると「柿ならある」と告げられます。
「柿は毒だから要らぬ」と返すと「お前はもうじき死ぬのだぞ、体を気にしてる暇なぞないわ」を一笑されます。
三成は返します「大義を望む者は、息のある限り命を惜しみ、本望を達せんと尽すべし」と。最後まで、自分の信じた道を貫いたのです。
処刑される直前、三成はこう語ったと伝えられています。
「大義のために生きた」それは、秀吉への忠義であり、自分自身の信念でもありました。

辞世の句が石に刻まれていました。
石田三成という男は、決して“勝者”ではありません。けれど「何のために生きるのか」を最後まで貫いた、その姿は、時代を越えて人の心を打ち続けています。
そしてその原点には、一杯のお茶から始まった、主君・豊臣秀吉との深い絆がありました。

昔の人は、言葉一つ一つに重みを残していると思います。

もしあなたが、「強さって何だろう?」と考えたとき、力だけじゃなく人を想う心と、信じる道を貫く勇気。それを教えてくれるのが、石田三成という生き方ではないでしょうか。
石田三成という人物像はNHK大河ドラマをはじめ様々な描かれ方をされていますが、共通するその「人となり」は、自らを厳しく律し、与えられた使命を忠実に守り抜き、決して妥協をせず、信じた道をひたすら突き進んでいくことのできる男であったことに尽きます。
またその心の奥底にある忠義という「深い愛」までも感じずにはいられないのです。その男の生き様をありありと感じさせてくれた「私も読んだ一冊」です。

義に生きたもう一人の武将 石田三成(著者:三池 純正)
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