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令和2年度年賀状「あみだくじ」・「冬Quiz」について

今年の運勢占い A=恐 恐ろしい程強烈な吉運 B=悦 悦び止まぬ嬉しい吉運 C=至 絶対に辿り着けない凶 D=極 吉の極み、これ以上がない吉運 冬Quiz ①キックベース ②一輪車 ③男子新体操 ④ダーツ 簡単だった方も、難しかった方も、本年もどうぞよろしくお願い致します。

in福岡県③

忘れていました。この門司港にはきれいで歴史の有る建物が沢山あります。 旧大阪商船(海運会社) 大正6年建築 当時は門司支店として使用されていました。船の往来が盛んになり、国内から一カ月の間に世界各国へ60隻以上の客船が、ここ門司港から出航していたそうです。当時の建物の中では一番背が高く、待ち合わせ場所的な感じだったのでしょう。その後、幾多の戦争時代を切り抜けて、昭和39年に三井船舶と合併。商船三井ビルと改名され、現在は北九州市が建物の所有者となっているようです。 旧門司三井倶楽部(国指定重要文化財) 大正12年建築 三井物産がVIP顧客を接待する場として、また社交クラブとして使用していたそうです。 中でも有名なのは、全国を講演するためアインシュタイン博士が来日して宿泊されたのがここ。 「日本は素晴らしかった。絵のように美しい国。上品な生活様式。もし私が日本と言う国を自分自身でみる機会を逃していたら後悔してもしきれない」と言って頂いたとか。嬉しいですね。それも一重に、一週間の滞在期間に、ご対応して頂いた日本人のおかげであると思います。しかも一人や二人じゃなかったはず。その方たちの名前も何も知りませんが、ありがとうございました。お疲れさまでした。往々にして一番頑張った方々は何時の時代も陰の立役者なんですね。 屋内にも入る事が出来ますので、見学することにしました。間違いなく、宿泊帳簿にチェックインした際のアインシュタイン博士のサインもありました。 何と書いてあるのかはまた後日ゆっくり拝見させて頂くことにします。 実際にご夫妻で就寝された場所まで見学できます。実際には布団で寝たとか。

in福岡県②

さあ、弾丸旅行で駆け抜けた今回の旅もこれで終わりです。あ~おなか減ったぁ。ということで帰りに寄ったお勧めのお店をご紹介させて頂きます。 ネット検索をサクッと。するとこんな素敵なお店が見つかりました。お正月のさ中からやっているだけでもありがたいのですが、近くに行くと中では大勢のお客様が賑わいを見せていました。 とにもかくにも、何を食べても美味しく、「ごちそうさま」と女将さんに手を上げたら・・・。「雑炊ですね!」っと言われ、ん?もうお腹がいっぱいで動けないくらいです。調子に乗って食べていたので・・・。「おいしいからちょっとだけでもどうですか」と言われ、思わず「では」と。 出てきたのがこちら。このなんともシンプルな雑炊。このあと、私の身の上に信じられない事が起こったのです。 何気なく、小さめのスプーンで一掻き。ん!?なんだこれは!! めちゃくちゃと言うより、激しく脳みそが胃袋に「頑張れ!」と応援するのがわかりました。これは食べないときっと後悔する!いや絶対する! 女将さんに「これ、家で作ることはできないですよねぇ~、そりゃそうっすよねぇ~」なんて声を掛けたら「この辺りの学校給食にも出るんですよ!」ですって。 パネェ。未成年がこんなものを食していいのか!くっそー、私の小学校の時は冷凍ミカンが取合い奪合いだったってぇのによっ!って正直思いました。 地元産のだし汁が売ってるらしいと言う情報を入手し、感謝してお店を出ました。 次にご紹介したいのが、ご当地グルメの焼きカレー。この通り一帯のお店がほとんど焼きカレーを振舞ってくれるんですね。 わかりますか?写真だけでは分かりませんよね。っていうか

in福岡県①

海峡の地下トンネルを超えると、対岸からの景色に。「近い」と思いましたね。 この海の底を歩いたのだと思うと、なんとも不思議な感じです。 きれいな景色をしばらくじっと眺めさせていただきました。やっぱり海は良いです。潮の香りが風に乗って鼻先をなでるときの、あの何とも言えない感触。 ここは九州の最北端に鎮座する神社で、関門海峡に面して社殿が建っている「和布刈神社」です。福岡県北九州市門司区門司3492 御祭神は「天照大神の荒魂」別称「瀬織津姫」という月の女神であり、穢れを祓う禊の神で、潮の満ち引きを司る「導きの神」とも言われているそうです。 来た道を戻るというのは、私の考えの中にはない行為。戻るにしても別ルートを探して帰るのですが、この時ばかりはどうしようもなく、往復しました。その道中、ちょっと変な人がいたりしてある意味楽しかったのですが(笑)

in山口県⑦

最後の最後に見ておきたかった場所へ。幕末に攘夷運動が吹き荒れる中、長州藩は他藩に先駆けて、ここ関門海峡を通る外国船籍への攻撃を行いました。 その後、各国列強の反撃にあい、長州藩はその勢力の違いにあえなく敗退。さらに、翌年には英・仏・米・和蘭の連合艦隊に大規模な攻撃を受けることとなります。これが「馬関戦争」です。 江戸幕府との不平等条約や、隣国への植民地化に垣間見た結果、諸外国から祖国を守り抜かなければならないといった思いが募り、ますます攘夷運動も盛んにならざるえなかった。街中では外国人に対する刃傷沙汰や辻斬りが相次ぎ、一触即発状態の均衡を長州藩が真っ先に破ることになります。 その時に使用された青銅製大筒のレプリカ。黙って侵略されていたならば、少なくとも今の日本はなかったでしょう。この後260年続いた江戸の徳川幕府は大政奉還し、事実上江戸時代は幕を閉じることになりますね。 ここ関門海峡は、貿易の拠点として多くの船が所狭しと航行していたのだと思うと歴史上、戦いの場は地の利を生かした場所で行われていたのでしょう。その後、航空機が主力となった今、その戦い方に大きな変化をもたらすことを、当時の日本人には思いもつかない事だったでしょう。

in山口県⑥

あ~残念!無念!っと言うか、解っていたことではありましたが、やっぱり残念です。そりゃそうですよね。年始からやってないですよね。5日から初営業って看板が・・・。今回は強行での旅でしたし、休みが取れなかったので、お正月休みを利用せざるを得なかったのですが。行きたかったぁ。 〒750-0005 山口県下関市唐戸町5-50 「唐戸市場」前には「本日休市」の看板が・・・。ここ唐戸市場はふぐの市場として有名なのはもちろんのこと、タイやはまちの水揚げもされており、直売しているので新鮮な魚が目白押し! 建物内はこんなに広い!ですが本日は休館(泣)目を閉じて活気あふれる唐戸市場を想像して、改めて開館時に来ることを誓ってこの場を後にしました。 トボトボと歩いて行くその先に、ななななんと、人人人の人だかり! そうです、唐戸市場に隣接する大きな飲食街がOPENしているではありませんかぁ! 「カモンワーフ」〒750-0005山口県下関市唐戸町6-1 カモンワーフは3階建ての建物で、新鮮な魚介やすしネタを振舞ってくれるおよそ20店舗が軒を連ねる食事のデパートのような、夢のような場所です!しかもめちゃ安くて旨い! こんなのを注文してみました。っと言うより、この注文するまでに悩みに悩んでやっと決めた感じ。メニューの写真だけで、これもいいなぁ、でもこっちも捨てがたいし・・・。たぶん、いやほとんどの人がそうなるはずだと思います。

in山口県⑤

この度の終着駅である、山口県下関市。そうここにあるこの風景を見たくてやってきました。 お正月ですよ。1月。こんなきれいな景色を見ているだけで幸せに包まれてゆきます。関門海峡最強!最高! 向こうのほうに見えるのは、関門海峡大橋。日本は島国ですからいろんな所に大きな橋が架かっていますが、これも作ってくれる人がいるからここに有る訳で、感謝しないといけませんね。有難うございます。 昔、子供のころに童話を絵本を読んだ記憶しかありませんが、ここ巌流島で大決戦が繰り広げられました。そうです、宮本武蔵と佐々木小次郎の大勝負。余談ですが、幕末の時代、坂本龍馬と妻の龍がここ巌流島にて花火をしたともいわれているようです。場所はわかっていないようですが・・・。雰囲気有りますよね。龍馬暗殺までの、素敵なひと時だったに違いありません。 巌流島の正式名称は「船島」だそうです。名前の由来は、島全体が船の形をしていたとか。この日は風もきつく、島には遮るものがほとんどないので吹きっさらし状態でした。 そもそも、なぜこの二人が戦いに及んだのか。それは両名共に腕の立つ剣客だったからです。当時、小倉藩の剣の指南役であった佐々木小次郎のもとに、二刀流の宮本武蔵が現れたことに始まります。よくある「どっちが強いの?」と門人たちの興味本位からの話が、決闘に至ってしまうわけです。 長く細い剣を振りかざし、振り下ろした後すぐに、下方から切り返す技を持つ佐々木小次郎。「燕返し」とは言え、この時の佐々木小次郎はよわい60とも70とも言われており、当然勝ち目はなかったようです。その後、無残にも撲殺されたとか。

in山口県④

現在の日本があるのは、多くの先人の方々が命がけの行動と崇高な志に支えられ、またそれを成し遂げた奇跡だと改めて感じることができました。 櫻山神社 この神社は高杉晋作の意向によって築かれた神社です。祀られているのは、吉田松陰から奇兵隊に至るまでの維新志士。総勢391の霊標が立ち並び招魂場となって後、桜を植えたことからこの名がついたそうです。 異国(過去に見たことのない強大な勢力)からの侵略を防ぐため、その大志によって突き進み、ただただ忠実に生き、朝敵となってもなお、前へ前へと突き進む行動力の強靭さは誰もまねできるものではないと思います。 私利私欲ではないところが肝心です。わが命を、自分以外の誰かの為なら捧げても良いとの覚悟が見て取れます。その時、その場に居合わせた者達にしかわからない覚悟であったかもしれません。この時代に生きた女性も、強く生きることを余儀なくされたことでしょう。明日、最愛の人が死人となってしまう恐怖と、隣り合わせの毎日を過ごしていたことでしょう。 高杉晋作は言いました。我ら同士達は何時戦死するかわからない。皆互いに予め生きているときに自分の墓を作っておくことはよいであろう。その墓には遺愛物を各々が埋め納めて分霊として、長く同志たちとともに招魂の場としよう、と作られたのがここの招魂場です。一番正面には「松陰吉田」の名前が、その脇を固めるように「高杉晋作」と「久坂」の文字が刻まれていました。

in山口県③

ぴちょん、ぴちょん。ひんやりした風が吹き抜ける。 そうここは〒754-0511山口県美祢市秋芳町秋吉秋吉台「秋芳洞」 秋吉台の山麓にある東洋屈指の大鍾乳洞で、天井の高いところでは80mに達しているようです。延長は10kmあると言われていますが、一般観光ルートは1km程度だそうです。しかし、1kmでも相当長く感じましたよ。じめじめしたイメージですが、中はヒンヤリしています。寒いといった感じではなく四季を通じて約17度らしいです。過ごしやすい気温といった感じでしょうか。 鍾乳洞の入り口は、切り立った大きな岩に裂け目ができたような感じで少し怖いような・・・。 きれいですよね。この水ははるか洞窟の奥深くから流れ出てきていることを、後で知ることとなります。 秋芳洞はお正月でもあってか、そんなに人はおりませんでしたが、「行きはよいよい?」で、ず~っと上り坂を進んでゆくため、出口からはバスかタクシーを利用されていらっしゃる方が多いようですね。 しかし、自然にできたこの洞窟は、自然の力と、膨大な時間の流れを感じづにはいられませんでした。

in山口県②

高杉晋作の名言 「おもしろき こともなき世を おもしろく」や「人間というのは、困難は共にできる。しかし、富貴は共にできない」など、此方も芯を喰っているなぁと思ってやまない。 「百万の大群、恐るるに足らず。恐るるべきは、我ら弱き民、一人ひとりの心なり」 幕末の尊王攘夷派の機運高まる中、奇兵隊を率いて倒幕活動を行うのでありますが、その構成員は、武士だけでなく、志願制をとり、農民、漁師や中には力士や僧侶もいたそうです。 彼もまた松下村塾の塾生で久坂玄瑞と「識の高杉、才の久坂」と称され、松下村塾の双璧と呼ばれるまでに至ったそうです。 とにもかくにも、朝敵とされた長州藩一藩だけで、幕府軍相手に戦いますか?無謀・ヤケクソといった風にとらえられてもおかしくない状況で、実質的に勝利を手にしてしまうところが、魅了して止まないのでしょう。 久坂玄瑞の名言 「富士の御山は崩るとも、心岩金砕けやせぬ、これ、砕けやせぬ」 木戸孝允(桂小五郎)の名言 「才才を恃み愚は愚を守る」 この言葉の意味としては、賢き人は自身の能力を頼りにして努力することを怠る、逆にそうでない者は、そのことを自覚しているので努力する。 人間力の差は、生まれ持って身に着けている能力ではなく、その後に頑張った努力や生き方であるとの教えだそうです。 「大道行くべし、又何ぞ防げん」 この言葉は、人は進むべく正しい道を進むべきだ、その道を妨害するものは何もない、といった教えだそうです。 維新三傑の一人。幕末の志士時代には、何度も命を狙われ、尚も京都で活動を行い続け、倒幕後の明治維新の真っただ中も、内政穏やかならない時代を権力闘争に明け暮れる。

in山口県①

マップが大きいのでひとまず分解しました。 広島城を後にして、次の目的地へ。一気に先へ進んだため、少し疲れましたが、今回の旅の最大の関心事が次の目的地のため、一気に回復! 目覚めれば晴天!早起きは三文の徳!ちょっと意味が違うと思いながらも、早速用意して出発!ここ東萩駅から歩いて程なくすると、最大の関心事の場所へ到着。 「決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい」 吉田松陰の名言の一つです。 また「君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する」 名言は名言でも、その辺にある名言とは、どことなく違って芯を喰っている気がしますね。 「大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である。知識を頼みとするようでも駄目である。必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである」 名言は後から文字を追って読むより、そういった事が自身や、大切な人の身の上に起こった際に、その時その場で読むのが、聴くのが一番心に突き刺さると思います。一番心が赤色(情熱)と紫色(不安)でごっちゃごちゃになっている新鮮な時に。 異国の侵略から日本を守るために、立ち上がった志士が、ここ吉田松陰の私塾から排出されました。身分や階級にとらわれることなく、志のあるものは入塾できたそうです。 お墓参りもさせて頂きました。ここには、松下村塾の双璧と称された「高杉晋作」と「久坂玄瑞」両名のお墓もありました。

in広島県④

絶対に絶対に行きたかった場所に行く事が出来ました! そうなんです。映画「海猿」のロケ地!!! 感動です! この映画で、私は何度救われて、何度泣いたことかわかりませんね。「絶対にあきらめない」・「必ず生きて帰る」このフレーズは今も新鮮に残っています。裏を返せば、自分がそうでないからそうできる人に感動するわけです。当たり前にできる人には、何でもないこのフレーズ。何時になったら卒業できるのでしょうか。 実際に登ってみました。登ったのは1月ですよ。こんな所を、真夏にウェットスーツを着て、ボンベ(空気)背負って登れるものではありません。やってみればわかります。階段の蹴込、踏面、要は階段自体が幅も高さもまちまちで、それでこの傾斜。運動不足だからではないと思います。 しかし​、若いと言うのはそれだけで財産ですね。体力は大事にしたいものです(笑)

in広島県③

久しぶりのお城巡り。日は既に没していましたが、月夜に浮かぶフォルムは貫禄があり、じっと見つめること数十分。お城を前にすると、なぜか神妙な雰囲気に飲み込まれがちです。 この広島城は、1598年に毛利元就の孫の毛利輝元により創建され、その後第二次世界大戦によるアメリカの攻撃で倒壊すると言った歴史があります。1958年に再建。このお城は「鯉城」とも呼ばれ、城下町には鯉と名の付くところが多いそうです。 この築城に深く関わっているとされるのが豊臣秀吉の側近、築城の名手「軍師:黒田官兵衛」黒田如水で、城の構造は大阪城を参考にしているようです。 築城時期は秀吉の朝鮮出兵時期と重なり、その前線基地となる名護屋城と大阪城、聚楽第との懸け橋の役目もあって、秀吉が派遣したという説もあるそうです。 その城下には、廣島護国神社がまつられていました。お正月時期と重なって、人手も多かったのですが、参拝させて頂きました。 この大きな鳥居をくぐって、人込みをかいくぐって、出店の誘惑を遮って、大変でしたが、お正月早々に身の引き締まる思いでした。 帰り道、誘惑に負けて、ベビーカステラと、たい焼きと、焼きそばと・・・(笑)

in広島県②

名残惜しみながら、次の目的地へ思いを馳せて、いざ参らん! 向かった先は〒737-0029 広島県呉市宝町5-20「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館) お正月とあってか、そんなに人はいないようですね。と思いきや、館内は混雑していました。最近では映画「アルキメデスの大戦」や少し前「男たちの大和」は映画館にて鑑賞させて頂きました。 しかしながら大きなスクリュウと大砲です。当時、歴史上最大の排水量と46㎝主砲3基9門を装備。映画の中では、その建設は秘密裏に行われたとの事ですが、この超巨大戦艦を隠すこと自体大変だったのでしょう。不沈艦と称された戦艦大和ですが、最後は海の底に眠ることになってしまいました。 今、この1/10スケールの大和を見ていて、実際にこの甲板の上で、怒号のように飛び交う指示命令の中で、一つのミスも許されない環境下で、命の交換やスレスレの攻防をやってこられた先人の方々が、100年にも及ばない近代史の中に実在していたことを思って止みませんでした。 展示物を見るしかできませんが、実際に現場でこの大砲が自分に向かって角度を変え、照準を合わされ、火を噴いて発射されたら、しかもそれが毎日身の上に起きている現実を知ったら、現代を生きる私にとって、選択肢もないなかでこれほど険しい道は他にないのだろうと思いました。 展示されている飛行機ですが、実際にはもっとボロボロで、傷付き、「これで飛んで行かなければいけないのか」と思わせるほどの機体だったかもしれません。ブレーキのない車を運転するようなものではなかったのかと思います。 ②「シーサイドカフェ」にて「さみだれカレー」を注文!わっ、う

in広島県①

香川県を後にして、出発した次の目的地は、〒720-0201広島県福山市鞆町843-1「いろは丸展示館」 兵庫県神戸市にある「神戸海軍操練所」で幕臣「勝海舟」のもと、船の操縦を猛訓練してきた高知の脱藩浪士「坂本龍馬」。竜馬は旧亀山社中の同志を率いて、乗組員と共に鞆の浦沖を航行していました。そのとき事件が起こったのです。それが「いろは丸事件」ですね。幕府側の勝海舟と討幕派の坂本龍馬が一緒にいることも「志」でつながっていたのでしょうか。 この時に起きたのが船と船の衝突事件でした。この時代にも、損害賠償交渉と称される様なものがあったようですが、今の法制度とは恐らくかけ離れており、弱肉強食の世界であったのではないでしょうか。相手は紀州藩。この時の紀州藩は幕府側の要となっていた藩で、勝ち目はないとされていたようです。 積荷もろとも、海底に沈んでしまった土佐商会(海援隊の所属)の船は甚大な被害を受けました。現在の価格にするとおおよそ30億円に相当するそうです。それを紀州藩に支払うように訴訟しました。この時代、物騒な世の中です。「文句を言う奴は消してしまえ」で、竜馬は隠れ部屋にて身をひそめ4日間でけりを付けたそうです。 今も趣のあるこの通り。言っても150年くらい前の話ですから、おそらくこの通りも竜馬は歩いたのでしょうね。この鞆の浦近海は、海上の障害物も多く、船が故障したり破損したら、修理してくれるところがいっぱいあったのでしょう。 これはシンボルでもある常夜燈。1859年に建造されたようです。鞆の浦は「潮待ちの港」としても繁栄し、活気にあふれた港町だったようです。この燈の南面には「金毘羅大権

in香川県

新年あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。新幹線で新大阪駅から岡山駅を経由して、JR土讃線特急南風で一路琴平駅へ。 以前、ここで下車して「岡山城」を目指したことを思い出しました。少し前なのになんだかずいぶん前に来たような気持でした。またここからスタートしたいです。 私にとって、車窓からの眺めは旅をするうえで重要なポイントです。もちろん目指すは目的地ですが、その過程も一緒に楽しみたいものです。この景色に関しては車内アナウンスもあったりします。とても綺麗で穏やかな風景は、とても有り難いです。いつも思いますが、当たり前はないんです。今日はラッキーでした。 遠くの方には、雄大な船がゆっくりと航路に沿って進んでゆくのが見えます。車内に私一人だったら大きく手を横に振ってみたくなりました。 寄り道ばかりしていて、到着したのはこんな時間になってしまいました。琴平駅です。綺麗でしょ?ポストもいい感じ。素敵な駅です。 ここの駅長さんはとっても親切で、ニコニコ笑顔でお見送りしてくれました。 ありがとうございます。電車がなかったら、こんな時間にここにはこれませんね。

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