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土佐の海

  • 2018年12月5日
  • 読了時間: 5分

更新日:5 日前


土佐藩には「上士」と「下士」が!


さあ、今回も前回のブログ「鯨海酔候」の反響が非常に良かったので「土佐弁」交じりに語っていきたいがじゃ。


桂浜公園いうたら、高知を代表する景勝地として有名ながやけんど、ほんまの魅力は「景色の美しさ」だけやないがぜよ。


高知県産 初鰹×戻り鰹 完全藁焼きたたき

高知県産 初鰹×戻り鰹 完全藁焼きたたき


太平洋を一望するあの浜辺は、幕末の志士「坂本龍馬」が若いころによう訪れ、土佐藩の窮屈な世の中や、日本の未来について思い巡らせよった場所として知られちゅうがやき。


この浜辺に立っちゅうと、潮風の向こうから、幕末の若い「坂本龍馬」のため息が聞こえてきそうながやき。


桂浜

まず知っちょいてほしいがは、土佐藩いうところは、まぁ〜身分制度がややこしかったがぜよ。「上士」と「下士」――土佐藩のめんどくさい身分制度があったがじゃ。


日ノ本にある多くの他藩におんなじ階級制度っちゅうもんはなかったがじゃき。


関ヶ原のあと「山内一豊」と一緒に入ってきた家臣らぁが「上士」。もともと土佐におった長宗我部系の武士や郷士は「下士」。


同じ武士でも、偉そうにふんぞり返っちゅう「上士」と毎日ペコペコせないかん「下士」に分かれちょった。



武士いうても「上士」とは扱いが全然違うき。「登城の作法」・「住む場所」・「発言力」・「世間の見られ方」なんでも差がつけられちょった。


しかも龍馬の坂本家は「下士」やったんよ。武士やいうても、上士からは半分農民みたいに見られちょったがやき。


田んぼのあぜ道ですれ違おうもんなら「下士」はすすんで頭を垂れて道を譲らにゃあならんかったがじゃ。


江戸で剣術学んでも、才覚があっても、志があっても、「おまん、下士やろ?」の一言で終わる世界ながよ。


武士ながに武士扱いされん」ような理不尽さを、小さいころから肌で感じちょったがやき。そりゃ龍馬も「なんながじゃこの世の中・・・」思うわけぜよ。


〒781-0262 高知県高知市浦戸6


若いころの龍馬は、ようこの桂浜公園へ来よったと言われちゅう。


太平洋をぼーっと眺めながら「海の向こうはどうなっちゅうがやろ」、「なんで人は生まれた家で決まるがぜ」とか考えよったがやないろうか。


いまの若い人で言うたら「SNS見て病む」・「就活で詰む」・「上司ガチャ外れる」みたいなもんながやき。


龍馬も相当モヤモヤしちょったんやないろうか。しかも土佐湾の波、無駄にデカいきね。悩みが5割増しになるがぜよ。


桂浜の綺麗な浜辺

龍馬いうたら自由奔放なイメージが強いけんど、その人格形成に大きゅう影響したがが姉の「坂本乙女」ながよ。


乙女姉やん」はそんなひとり落ちこんじゅう「龍馬」を最後の最後まで支えたんだがじゃ。


坂本乙女は、まぁ今で言うたら「メンタルトレーナー」で「体育教師」で「母親」で「」で「コーチ」全部足したような人ながよ。しかもデカい。


龍馬よりデカかったいう説まであるきね。子どものころの龍馬は泣き虫で弱虫やったがじゃ。



近所の人らぁは「あの龍馬ぁまた泣きゆう」言われるレベル。いっつも泣いておったがじゃ。


ところが乙女姉やんは厳しかったぜよ。「男やったら腹据えんか!」「剣術行ってこい!」「泣く暇あったら走れ!


けんど、その厳しさの根っこには深い愛情があったがじゃ。龍馬ぁも乙女姉やんを心から信頼しちょって、手紙の中でも本音を打ち明けゆう。


つまり乙女姉やんはただの姉やない。龍馬ぁの精神的支柱やったがぜよ。あの姉やんがおったき、龍馬は腐らんかったがぜよ。


坂本龍馬像

桂浜で龍馬が思いよったことを考えたがじゃ。たぶん龍馬は、この浜でこう考えよったがやないろうか。


土佐の中だけ見よったらイカンぜ」、「日本はこのままでえいがやろか」、「日本そのものを変えないかん」、「人が生まれで決まる世の中はおかしいぜよ


実際、後の龍馬は藩を飛び出して、薩摩とも長州とも手を組むがぜ。あの時代にそれやるいうたら「ライバル会社同士をZoom会議で仲直りさせる」みたいな無茶苦茶ながよ。


しかも司会進行が土佐藩の「下士」坂本龍馬ぜよ。クセ強すぎる参加者ばっかり。胃が痛かったろうねや。


けんど、藩の枠を超えて日本全体を動かそうとした背景には、この土佐藩で味わうた閉塞感が大きゅう関係しちゅうとも言われゆうがぜよ。


坂本龍馬の背中

きっとこの銅像は「未来」を見ゆうとおもうがぜ。桂浜に立っちゅう有名な龍馬像。坂本龍馬像は、太平洋の向こうを見ゆう。


あれはアメリカを見ゆうがぜよ」とか「世界を見ゆうがや」とか言われるけんど、実はあれ「土佐の狭い常識を飛び越えたい」いう龍馬の気持ちそのものやないろうか。


知らんけんど。


後に「勝海舟」のもとで航海術を学び「海援隊」を作る龍馬ぁにとって「」は単なる景色やのうて、新しい時代への希望そのものやったがぜよ。


桂浜はそんな若き坂本龍馬の「青春のモヤモヤ」が詰まっちゅう場所ながよ。もし桂浜へ行ったら、龍馬像だけ見て帰ったらイカンぜよ。


海をぼーっと見てみいや。するとどこからか「日本を今一度せんたくいたし申候」いう声が聞こえるかもしれん。・・・たぶん波の音しかせん。


なりきり竜馬

世の人ぁ、わしのことを何とでも言うたらえい。けんど、わしが何を成すがかは、わししか知らんがじゃ


何の志もないまんま、ぐずぐず日ぃ送りゆうがは、まっこと大馬鹿者ながよ


人の世の道ぁ一つしかないがやない。道ぁ百も千も万もあるがじゃ


竜馬がゆく

竜馬がゆく (1) (文春文庫)


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