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第二の故郷 名古屋

  • 2015年12月27日
  • 読了時間: 5分

更新日:7 時間前



名古屋ではじめての一人暮らし


今思えば、大阪を離れて名古屋での一人暮らしが始まったあの日。はっきりと今でも覚えている。スーツケースひとつで降り立った名古屋駅のホームは、やけに広くて、少しだけ冷たく感じた気がする。


電車の前に立つフード付き上着の男性。彼の両側にシルエットの人物が通話と歩行中。クールなブルートーンの背景。

見慣れた関西弁はどこにもなく、聞こえてくるのは少し違うイントネーション。それだけで「自分はここではまだ部外者なんだ」と突きつけられた気がして、不安が胸の奥で静かに膨らんでいった。


それでも後戻りはできないし、夢や希望も持っていたと思う。親からの仕送りはないから頼れるのは自分の精神力と体力とそしてほんの少しの覚悟だけ。


朝は大学で講義、昼は食費を気にしながらの質素な食事で夜は毎日アルバイト。助かったのはバイト先の賄メシが旨かったこと。


茶髪の少年が本と植物のある書棚の前に立ち、リュックを背負い、ペンを持っている。温かい光が差し込む。

さらに、バイトの先輩から「食券」譲ってもらえたり、厨房のおっちゃんに「こっそりご飯大盛りにしてもらったり」は今でもほんと感謝している。


忙しくなると日付が変わっていることも気づかず働いていたことも珍しくなかった。周りがサークルや遊びに時間を使っている中、正直焦りや羨ましさがなかったわけじゃないし、逆にかなりあった記憶がある。


そんなことを考えているのは決まって10円玉を2~30枚握りしめて、近所の自販機で100円玉に交換してたりするときだ。コンビニで全部10円玉で払うのが恥ずかしかったからだけど。今思うと面白過ぎる行動をしていた。


なんで自分だけこんなに必死なんやろか


青空の下、少年が黄昏時のビル街を見下ろす。背負ったバッグと太陽の光が印象的。雲はピンク色に染まる。穏やかな雰囲気。

おもんないなぁ。一年目は何度何度もそう思ってた。だけど悲しいことにその問いの答えはいつも同じだったこともはっきり覚えている。


自分で決めた道やしな」・「遊びに来たわけちゃうしな


そう言い聞かせて、また次の日もその次の日も繰り返しの日々は続いたが、走り出したら止まらなかった。慣れてきたのかもしれないし記憶にはその時の詳細は残ってない。


不思議なもので、そんな日々の中でも少しずつ“居場所”はできていった。同じように頑張っている仲間や何気ない一言で笑わせてくれる友人、疲れた夜に「おつかれ」とねぎらいの声をかけてくれるバイト先の先輩もいた。



気づけば、あの広くて冷たく感じた街は、温もりを持った場所に変わっていて、なんとも心地の良いお気に入りの場所にも感じていたと思う。それでもお金はなかった。余裕もなかった。でも、その分だけ、ひとつひとつの出会いが濃くて、時間が愛おしかった。


4年間は今思えばあっという間だったけど、当時は必死だったと思う。


エアコンがなかったから、窓全開で濡らしたタオルを掛け布団代わりにすればスヤスヤ眠れたし、バイト前に少し早くで出かけて駅地下の大容量エアコンの前で本も読めた。


お金と時間の有効利用を考えた結果、「サーフィン」一択に絞り込んだ時期があり、周囲の人を巻き込んで車に箱詰め状態で伊良子岬に遊びによく行った。ガソリン代は割り勘でOK


夕日が沈むビーチでヤシの木に囲まれた男性がサーフボードを持って立っている。赤とオレンジの色調でノスタルジックな雰囲気。

まず海パン一丁でOKなことに加え、サーフボードは借り物があったし、土曜の朝5時に現地到着すれば波の良い午前中を確保できて、そのまま帰ってアルバイトができた。


どんな環境でもやり抜けるという自信も多少はできたけど、何より「かけがえのない仲間」という一生の財産のほうが今でも大きい。楽な道ではなかったけれど、その分だけ確かに掴んだものもいっぱいあった。


今でもやり取りは続いているし、何年会っていなくても「毎度!げんき?」と昨日まで一緒にいたように会話できる。本当に不思議に思うし嬉しく思うし大切に思う。


大阪から出てきたあの日の自分に、「大丈夫やで。あの選択、間違ってへんで」といってやりたいけど、言わずにいた方が良い気もする。


とにもかくにもあの時の不安も、孤独も、全部ひっくるめて、名古屋で過ごした貴重な4年間は人生で忘れることのない最高の日々やったとおもう。


あれから数十年経って


〒450-0003 愛知県名古屋市中村区名駅1丁目1−4 JRセントラルタワーズ

高層ビルから見た都市の眺め。複数のモダンなビルが立ち並び、背景には広がる市街地が見える。晴れた空が広がる。

大学卒業以来、20年以上に渡り気の合う仲間に会うため毎年年末に訪れるのがここ名古屋なのだけど、ずいぶん様変わりしてしまった。


必死で仕事させてもらったアルバイト先はもうその陰すら残っていないのは寂しく残念だもある。


ココはJRセントラルタワーズの高島屋51階にあるカフェからの眺望。名古屋も駅前は開発が盛んに行われて超高層タワー群の大都市になっている。昔はあっても15階くらいのビルしかなかったように思うのだけど。


駅前で一人暮らしをしていた学生のころはこんな高層ビルもほとんどなく、「ココは本当に都市なのか」と思うくらい野暮ったく、「田舎だなぁ」なんて思っていた。


青い空の下、現代的な都市のスカイラインが広がる。摩天楼が整然と並び、未来的な雰囲気を醸し出している。

時代が流れて今となっては「通称名:ミッドランドスクエア」トヨタ自動車、毎日新聞社、東和不動産共同所有の超高層ビルが2006年9月竣工。正式名称は豊田・毎日ビルディングなるものが駅前を飾っている。


この前後より駅前周辺の開発により一気に近代化したように感じる。街並みが変わっていくことに驚きを隠せないのだが、今となっては昔を懐かしむ景色が無くなっていくことに寂しさも隠せない。


銘城 名古屋城


〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1

青空の下、壮大な名古屋城がそびえ立ち、白い壁と緑の屋根が目立つ。手前には葉を落とした木があり、静かな雰囲気。

名古屋城を久しぶりに訪問させて頂きました。年末と重なってインバウンドでの海外から観光客にもみくちゃにされながら、天守を目指しました。


青空の下、緑色の屋根を持つ歴史的な日本の城がそびえ立つ。白い壁が青空に映え、静かで荘厳な雰囲気を醸し出している。

しかしながら、いつ見ても何度見ても名古屋城は堂々たるフォルムをしていると感じます。当時建築に携わった職人方々には「重機」など無い時代ですから、その竣工までの作業には多大なる苦労がうかがえます。


お城の中には石垣の石を一つずつロープで引っ張っている模型なども展示され、当時の建築の大変さを伝えています。


赤い布の上に金色の釜が置かれ、前に説明文がある展示。背景にテーブルと椅子が並び、落ち着いた雰囲気。

いつ訪れても、何度来ても「この地に来てよかった」と思うのです。私にとってここ名古屋は第二の故郷です。


高校を卒業してまだ大人になっていない多感なこの時期に、実際に聞いて、見て、触れて得た実体験は何でも吸収していたに違いないと思います。


社会人になる前に、ここで経験できたことは、今の私を支えてくれていると断言できると思います。あの時諦めず頑張って良かったと、今は心中よりそう思うのです。



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