鯨海酔候
- 2018年12月6日
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更新日:6 日前
念願かなって、初めての高知県へ。なぜ高知県に行きたかったかと申しますと、まず「坂本龍馬」の誕生の地であり、そして「カツオのたたきを産地で食べてみたい」・・・。

土佐久礼 日戻り 完全藁焼き 鰹のたたき 高知県産
そんな感じです。はいウソです。「山内容堂」に会いたくて訪ねました。実は私下戸なんです。お酒は飲めませんので、飲める方からすると残念過ぎるらしいのですが。
大政奉還 陰の立役者
酔
今回は、幕末土佐の“酒飲み殿様界のレジェンド”「山内容堂」について、土佐弁まる出しで語っちゃるきに。
まず「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」っちゅう異名からして、インパクトが強すぎるがぜよ。
意味としては「海みたいに広い心と、鯨みたいに豪快な酒飲みの殿様」っちゅう感じで、とにかく酒好きで有名やったがやき。
今風に言うたら“酒豪インフルエンサー藩主”みたいな存在ぜよ。
実際の容堂公はというと朝から酒を飲み、昼も飲み、政治の場でも飲み、家臣を叱りつけながらでも飲むっちゅう、とんでもない酒好きやったらしいがぜ。

けんど、この人を単なる酔っぱらいと思うたらいかんがよ。容堂は、幕末最大級の歴史イベントである「大政奉還」に深く関わった重要人物ながやき。
つまり「徳川幕府が政権を朝廷へ返します」と宣言する、日本史の大転換を後押しした一人やったがよ。
当時の日本は、幕府を守りたい勢力と倒したい勢力が真っ向からぶつかっちょって、国じゅうピリピリしちょった。
今で言うたら、毎日大炎上しゆうSNSみたいな空気やったんじゃなかろうか。
その中で、土佐藩の「後藤象二郎」らぁが「徳川家が自分から政権を返したら、戦争を避けられるがやないか」と考えたがじゃ。
これが大政奉還論ながよ。そして、その案を後押しできる立場におったのが「容堂」やったき、歴史的にも非常に大きな役割を果たしたちゅうわけじゃ。

ただし「容堂公」はかなり気性が激しい人物でもあったがよ。頭は切れるし政治感覚も鋭かったけんど、とにかく短気で怖かったらしい。
家臣らも相当ビビっちょったという話が残っちゅう。特に有名なが「坂本龍馬」に対する態度ぜよ。
龍馬は脱藩して自由に動き回りよったき、容堂からしたら「あいつは勝手しゆう浪士じゃろうが!」っちゅう感覚やったがやき。
今風に言えば、昔ながらの厳格な社長が「自由奔放なフリーランス社員」を見てイライラしゆう感じに近いかもしれん。
それでも時代の流れは止まらんかったがやき。「龍馬」の考えた「船中八策」や薩長同盟などで、政治の空気は一気に変わっていったがよ。

その中で土佐藩が存在感を発揮できたのは「龍馬」だけやのうて「後藤象二郎」や「山内容堂」らぁ、クセの強い人物たちが絶妙に噛み合ったからながやき。
まさに幕末土佐は“クセ強メンバーによる奇跡のチームプレー”やったと言えるろう。
そして「容堂」のすごいところは、最後には時代の変化を受け入れたことながよ。ただ意地だけで幕府にしがみついちょったら、日本はもっと大きな内戦になっちょった可能性もある。
容堂は酒豪で、短気で、毒舌で、家臣から恐れられちょったけんど、最終的には「もう時代が変わるがや」という現実を見抜いちょった人物やったがやき。
つまり 山内容堂 を一言で言えば「酒を飲みながら日本史を動かした男」ぜよ。
もし現代におったら、“酒豪伝説まとめ動画”や“怖すぎる上司エピソード特集”で絶対バズっちょったはずながよ。
幕末が面白いんは「坂本龍馬」みたいな英雄だけやのうて、こういうクセの強い権力者たちがおったからながやき。

この日、泊めて頂いた宿は「三翠園」旧山内容堂公「土佐藩主の下屋敷跡地」に建てられたホテルです。さてさて続きを書いてゆきますね。
三翠園と山内神社
土佐欲張りセット
ほいでここは土佐藩最後の大物「山内容堂」の下屋敷跡ながぜよ!しかもあの「西郷隆盛」とも会うたちゅうがやき、歴史好きにはたまらん場所ながぜ。
当時の三翠園のあたりは「南御屋敷」いうて「山内容堂」の別邸みたいな場所やったがよ。
今でも庭園の一角に「山内容堂・西郷南州 会見の地」いう碑まで残っちゅう。想像してみいや。
「西郷」どんが「殿!もう徳川の時代は終わりでごわす!」とか熱う語りゆう横で、容堂公は「まぁまぁ、まず酒でも飲めや」とか言いよったかもしれんわなぁ。
実際、他藩の連中が「土佐人は昼から飲んでもまあえいか」的な文化があるき、と思わせちゅうのは、絶対この殿様の影響あるろうって思うちゅう人もおるきね。
〒780-0862 高知県高知市鷹匠町1丁目3−35
しかも「三翠園」はただ歴史があるだけやないき。温泉まで湧いちゅう。
つまり今の「三翠園」は「幕末の超重要会談が行われた場所で、殿様気分で温泉入って、カツオ食う」いう「土佐欲張りセット」が楽しめるながよ。
ほいで庭を歩きよったら「ああ、ここで容堂公が酔っぱろうて月見ゆうたかもしれん」とか考えてしまうがやき、歴史好きはニヤニヤが止まらんぜよ。
ちなみに「山内容堂」は「坂本龍馬」ら「維新志士」に対して「おまんら調子乗りすぎじゃ!」みたいに怒ることも多かったがやけど、最終的には大政奉還にも関わるき、ほんま幕末のキーパーソンながよ。
せやき高知で「坂本龍馬だけ見て帰る」いうんは「カツオのタタキで塩をかけ忘れる」ようなもんなが。
龍馬を見るなら、その背後で「ほう、おもしろいことやりゆうのぉ」と睨みよった「山内容堂」もセットで楽しまないかんぜよ。

ここから数十メートル先にいきゆうとこに「山内神社」があるき、見に行ってくればええがじゃ。と聞いたので、思わず訪問させていただきました。
「山内神社」におるんはもちろん土佐藩15代藩主・山内容堂ながよ。この神社らぁ、土佐藩主・山内家の歴代を祀っちゅう由緒正しい神社で「初代の山内一豊」と「千代さん」らぁも祀られちゅう。
高知城のすぐ近くにあるき「ああ、土佐いう国ぁ、この山内家がずーっと切り盛りしよったがやなぁ」いう実感がじわじわ来るがよ。
けんど参拝客の視線を全部さらうがは境内の“容堂公銅像”なんじゃき。これがまぁ、クセが強い。
普通、維新の偉人像いうたら「キリッ!」と遠く見ゆうろ?腕組みしたり「日本の未来はワシに任せちょけ!」みたいな顔したり。ところが容堂公。どかーんと座っちゅう。しかも片手に酒。
ダメ押しタイトルが「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」なんじゃき。もう完全に“歴史的大仕事の打ち上げ”状態なんじゃ。
「いやぁ〜慶喜さん、よう決断したのう〜!」いう声が今にも聞こえてきそうながよ。片手にゃギヤマンの杯。顔はもう、えい感じに出来上がっちゅう。
幕末いうたら命がけの時代ぜよ?薩摩と長州がバチバチやりゆう。龍馬が日本中走り回りゆう。新選組がギラギラしゆう。その中で容堂公だけ「まぁまぁ、まず飲まんかえ」ながよ。
しかも立像じゃのうて“座像”。偉人界の中で「無理してカッコつけんでもえいやいかぇ」いう新ジャンル開拓しちゅう。もし横に龍馬像が並んだら、たぶんこうじゃのう。
龍馬「日本を今一度せんたくいたし申候!」容堂「ほうかほうか。まあ飲めや」絶対こう。
しかも山内神社そのものも、なかなか波乱万丈での。戦争で焼けてしもうてその後再建。今の姿になっちゅうがよ。
あの静かな境内には、土佐藩二百年のドラマがぎゅうぎゅうに詰まっちゅう。
なんども言うがじゃ。よう聞きやぁ。高知観光いうたら、みんな「龍馬」に一直線になりがちやけんど、山内神社へ行ったら「歴史を動かした人いうても、案外人間くさいがやなぁ」いう気持ちになるがじゃ。
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