「兒」と「揚羽紋」
8年かけて築城
〒700-0823 岡山県岡山市北区丸の内2丁目3−1
岡山県にいかない?と誘ってくれたのは、私を気遣ってくれた妻の一言でした。
ここのところ、新しい事を始めたばかりの私の身の上に、新しい諸問題が起こり、毎日仕事で遅くなっている事への気遣いでした。
朝7時に起床し、新幹線に乗り込み着いた先は岡山県。そこから路面電車で4駅目の「城下」駅。
岡山県はいつも通過地点でしたし、ゆっくり散策などしたことのない街でしたから、右も左もわからなかったのですが、目的地はしっかりと有りましたので一直線に目指しました。
行く先々に、岡山城創築者で戦国大名宇喜多家旗紋「兒」と、後に岡山城城主となった池田家家紋「揚羽紋」が至る所でたなびいていました。
天気にも恵まれて少しずつ気も晴れてきました。
親切に案内標識がわかりやすい場所で誘導してくれます。向かった先は「岡山城」。このお城の歴代城主にはとても興味がわきます。
戦国時代、天下分け目の大決戦である関ケ原の戦いにおいて、西軍と東軍のキーパーソンがそれぞれ城主となっているからです。
北西側より撮影したのですが・・・?このお城どこか洋風っぽい感じがしませんか?
戦国時代、初代城主宇喜多秀家が豊臣秀吉の指導の下、8年かけて築城したのですが、この時代の他のお城にはない見所が多いんです。
1.金の鯱ってこんなに沢山あっていいの?
2.なんで壁が黒いの?
3.通常、正方形か長方形で築城されるのに、よく見たら壁に折れ点があるよ。
4.なんで本丸が川面に面してその姿をあらわにしてるの?etc...。
写真の岡山城は、残念ながら再建造されたものです。昭和20年の岡山空襲で焼け落ちたそうです。とはいっても美しいフォルム。6階建てのお城の天守からは岡山県を一望できます。
どの時代でも構わないのですが、その時代を生き抜かれた方々の先に私たちがいます。歴史は脈々と連なっており、果無く続いています。その中に身を置けることに感謝したいと思いました。
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