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紀州藩は幕府側の要


 

いろは丸事件

 

〒720-0201広島県福山市鞆町843-1「いろは丸展示館

兵庫県神戸市にある「神戸海軍操練所」で幕臣「勝海舟」のもと、船の操縦を猛訓練してきた高知の脱藩浪士「坂本龍馬」。


竜馬は旧亀山社中の同志を率いて、乗組員と共に鞆の浦沖を航行していました。そのとき事件が起こったのです。


それが「いろは丸事件」ですね。幕府側の勝海舟と討幕派の坂本龍馬が一緒にいることも「」でつながっていたのでしょうか。

この時に起きたのが船と船の衝突事件でした。この時代にも、損害賠償交渉と称される様なものがあったようですが、今の法制度とは恐らくかけ離れており、弱肉強食の世界であったのではないでしょうか。


相手は紀州藩。この時の紀州藩は幕府側の要となっていた藩で、勝ち目はないとされていたようです。

積荷もろとも、海底に沈んでしまった土佐商会(海援隊の所属)の船は甚大な被害を受けました。現在の価格にするとおおよそ30億円に相当するそうです。


それを紀州藩に支払うように訴訟しました。この時代、物騒な世の中です。「文句を言う奴は消してしまえ」で、竜馬は隠れ部屋にて身をひそめ4日間でけりを付けたそうです。

今も趣のあるこの通り。言っても150年くらい前の話ですから、おそらくこの通りも竜馬は歩いたのでしょうね。


この鞆の浦近海は、海上の障害物も多く、船が故障したり破損したら、修理してくれるところがいっぱいあったのでしょう。

これはシンボルでもある常夜燈。1859年に建造されたようです。鞆の浦は「潮待ちの港」としても繁栄し、活気にあふれた港町だったようです。


この燈の南面には「金毘羅大権現」、北面には「当所祇園宮」と文字が彫り込まれており海上の安全を祈願し、守護神に寄進する燈籠の形になっているようです。

ちなみに「金毘羅大権現」とは、香川県多度津郡琴平町に鎮座する金刀比羅宮の旧称で金毘羅とはインドのガンジス川に住む「」を神格化した「水神」の名前だそうです。


信仰の中で讃岐象頭山に鎮座の神として神仏習合して金毘羅大権現となったそうです。

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