罪と罰(上)
今回は、ドストエフスキー著「罪と罰(上)」を一読し、その感想を残しておこうとする個人的な挑戦であり、また時が経過した後に読み返すことで、以前の感想とまた違った見解が得られるのかどうかといった挑戦でもある。
注意
個人的な読書感想文として構成した記事ではありますが、ネタバレする場合を考慮して、まだ本を読んでいない方はご注意ください。
ドストエフスキーについて
Wikipediaによれば、本名をフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 1821年11月11日にロシア帝国 モスクワにて誕生したロシア小説を代表する文豪である。
代表作はもちろん「罪と罰」であるが、他にもその名を不動のものとした処女作「貧しき人々」で喝采を浴び、その後も「白痴」や「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」が挙げられる。
父親はマリインスキー貧民救済病院の医師。のちの院長であり、母親はモスクワの裕福な商人の娘であり、6人兄弟の次男として比較的裕福な暮らしをしていたようである。
父親が昇進して領地をもつことが許され、モスクワから150㎞ほど離れたトゥーラ県に2つの領地を買い求め地主となったが、その後すぐに火災が発生し屋敷は崩れ落ちた。
15歳の中学受験に合格するも、同年母親を亡くし、そのわずか2年後には父親が農民に恨みを買って惨殺されている。
当の本人も、なんと「死刑判決」を受けたことがあり、銃殺刑執行直前に特赦によって減刑となりシベリア流刑となっているようである。
また、博打好きな気質によって生涯にわたり貧困生活を余儀なくされ、その借金返済のために出版社と無茶な契約をし、原稿の締め切りに追われる生活ぶりだったそうである。
驚くべきは、そんな日々追われる生活だったからか、時間に余裕がなく「罪と罰」は本人による「口述筆記」によるものだそうである。本人が喋ったものを筆記者が書き写して出来上がったということであり、その時の筆記者が2番目の妻となった。
作品の評価は賛否あるようだが、賞賛している多くの著名人の中でとりわけ「アルベルト・アインシュタイン」や「フリードリヒ・ニーチェ」、「アーネスト・ヘミングウェイ」や「レフ・トルストイ」が挙げられる。
さて、そんな紆余曲折な人生で彼は著作「罪と罰」を通して、何を伝えたかったのかについて考察し、読書感想文を書こうと思う。
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ
まず初めにこの本と出合うきっかけとなったのは映画「ローレライ」にて、俳優:堤真一扮する帝国海軍軍令部参謀朝倉大佐が、俳優:役所広司扮する絹見真一海軍少佐に問うワンシーンがあった。「君はドストエフスキーの『罪と罰』を読んが事はあるかね」
この映画を観るうえで「この小説を読まなければ先に進んではいけない」と思ったからであり、そのほかには何ら理由はない。
また、本書を初めて手に取ろうとする場合、私の勝手な注意点であるが「読み応えのある厚み(上下巻で約1000ページ)」と「登場人物の名前が特徴的」であり、活字慣れしていない方には少しハードルを感じるかもしれない点にご注意いただけたらと思う。
主な登場人物の名前
主 人 公:ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(愛称:ロージャ・ロージカ)
金貸し老婆:アリョーナ・イワーノヴナ
主人公の母:プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワ
主人公の妹:アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ(愛称:ドゥーニャ・ドゥーネチカ)
学 友:ドミートリイ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン(愛称:ラズミーヒン)
予審判事:ポルフィーリイ・ペトローヴィチ
マルメラードフの連れ子:ソーフィア・セミョーノヴナ・マルメラードワ(愛称:ソーニャ・ソーネチカ)
ソーニャの父:セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ
ドーニャの勤め先の主人:アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ
ヴィドリガイロフの妻:マルファ・ペトローヴナ
ドーニャの婚約者:ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン
これは外国文学、ロシア文学なのだから仕方がないと決めつけて、本作に挑めばさほど苦にならなくなり、次第に慣れて「ああ、この表現は友人同士の会話だな」とか「公式な場での呼び方だな」等と関係性に気づくはずなので心配ないと補足しておきたい思う。
ラスコーリニコフの心理描写は、まるで実際にその場でその対象を見聞きしているかのように詳細で、学生の明晰さは鋭くある意味美しい表現がなされていることに驚はされるのである。
また同時に、当時のロシア帝国における時代背景も鮮明に表現されており、訪れたことも見たこともない街の景色が閉じた目の奥に広がり、それは容易に想像することが出来て、更には臨場感までもが犇々と伝わってくるのである。
上巻を読み終えて思うこととしては、主人公:ラスコリーニコフの心情に「罪の意識」はあるものの、「謝罪」の言葉が一度も出てこないことへの疑問と、更に下巻へ読み進めたいといったはやる気持ちが沸いてくることである。
先述した通り、この作品は本当に「口述筆記」によって書かれたものなのか、ドストエフスキーの頭の構造は同じ人間のモノなのかと驚く他ない。
動機
著書のタイトル「罪と罰」と挙げられている通り、一度聞くと忘れることのできない非常にインパクトのある強い表現であり、内容についてはある程度察しがつくのであるが、読み始めてわずか160ページ目で事件が起こる。
モスクワに次ぐ第二の都市であるサンクトペテルブルクにて、老婆とその義妹が何者かに殺されるといった事件で幕を開ける。いわゆる「強盗殺人」である。
犯行は用意周到に行われたため、証拠という証拠が見つからないまま話は展開する。しかし、それとは裏腹に、犯人は自身の犯行に対して次第に精神のバランスを保ちきれなくなり、次第に崩壊させてゆくのである。
犯人が犯行に至るまでの背景として、父親を早くに亡くし母と妹の3家族であり、家計は常に逼迫しており、大学に通うためアルバイトをしながら一人暮らしをしている。
しかしついに、その努力も報われることなく学費が払えなくなり中退を余儀なくされ、下宿先の家賃も既に滞っており普段の生活まで脅かされるといった慢性的な貧困状態にあり、失意・失望のどん底にいたのでる。
愛する母プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワからの仕送りに感謝しつつも現状を憂い、愛する妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワさえも、家計を支えるためピョートル・ペトローヴィチ・ルージンとの婚約を進めている現状に自身の非力さと、社会の在り方に対し恒常的に憤りを感じているのである。
ここまでの内容であれば、いつの時代もどこの国でも決して無くならない痛ましい事件の一つであると思われるのだが、それらと一線を画すのが「犯行時の動機付け」である。
おそらく当初犯人の「目的」は単に貧困からくる金銭の強奪であったことは間違いないと思われるが、私が思うところであれば「窃盗」で済んだはずのことが、なぜ「殺人」まで行う必要があったのかである。
殺された「老婆」とは面識はあったものの、私が思うところ殺意を抱くまでには不十分であったように推察される。ここに主人公の思想として偏った動機付けが見て取れるのである。
「私が思うところ」としたのは、「何が通常で」、「何が一般的なのか」かと言った表現ではあまりに抽象的であり適切ではないと思うからである。
歪んだ精神
払拭できない様々な出来事、自分を陥れる外的要因の数々は、慢性的な負の重圧となり、逃れるこは許されず「何故」・「どうして」と自問自答の日々を悶悶と過ごす中で、次第に精神に異常をきたすようになったのではないかと思われる。
自分の置かれている現状を何とか「正当化しなければならない」といった思考に流れ落ちていったのではないだろうか。
その片鱗は彼が大学を中退する半年前に、ある本について執筆した「論文」に見いだされる。その題目は定かではないが「犯罪について」と纏められ、その内容からは歪んだ精神状態が垣間見れるのである。
ラスコーリニコフに対し嫌疑を持つ者がいる。それは事件捜査を担当する凄腕の予審判事:ポルフィーリイ・ペトローヴィチであり、奇しくもその論文は、彼の口から著者自身の耳に届くのである。
ラスコーリニコフには学友であるドミートリイ・プロコーフィチ・ウラズミーヒンという青年がいるのだが、その親戚にあたるのがポルフィーリイ・ペトローヴィチである。
「《犯罪について》でしたかな・・・・・・題は忘れて、思い出せませんが。」あなたの論文は以下のような内容ではなかったでしょうかと話し始める。
すべての人間は≪凡人≫と≪非凡人≫に分けられる 凡人は平凡な人間であるから服従の生活をしなければならず、法律をふみこえる権利がない |
ところが非凡人は、もともと非凡な人間であるから、あらゆる犯罪を行い、かってに法律をふみこえる権利を持っている |
これに対しラスコーリニコフは多少の訂正を加えている。
非凡な人間は、ある障害に対して自分の思想の実行が全人類の救いとなり、それを要求する場合だけ、公式ではないがふみこえる権利があり、それは自分の良心に許す権利がある |
とした。障害をふみこえると言った表現の中には、とうぜん殺害もや無得ないということを含むのだが、「良心に許す」とある以上、善悪の判断基準はあったのだと思われる。
もちろん何をもって「善」何をもって「悪」とするかは難しい判断ではあるが、おそらく道徳や法律に沿っての判断であろう。
ラスコーリニコフは自らを「正直者が馬鹿を見る」の正直者側と位置付けたのではないだろうか。おそらく絶対的な正直者であると。
さらにラスコーリニコフはこう続けている。
結論として、偉人はもとより、ほんのわずかでも人並を出ている人々はみな、そうした生まれつきによって、ぜったいに犯罪者たることをまぬがれないのだということ |
そして古代の偉人であるリキュルゴスしかりソロンやマホメット、ナポレオン等々のこれまでの行為を引き合いに出してそう訴えるのである。
これに対し予審判事:ポルフィーリイ・ペトローヴィチはこう問いかけるのである。
ところでその非凡人と凡人をいったい何で見分けるんです?生まれた時からなにかしるしでもついているんですか? |
本書を読み進めている中で、ふと気になったことだが、非凡人としてのラスコーリニコフであるならば、なぜ用意周到に「完全犯罪」に固執し計画を実行する必要があったのかである。
転機
犯行後だけでなく犯行に至る前からラスコーリニコフは本書の中で創作的なことは何ひとつとして行えず、ただ震え、怒り、嘆き、落胆するといった衝動に駆られ続け、ただ疲弊しているのである。
≪あれをやるのだろうか≫ ≪ほんとうにあれをやるのか≫ この「あれ」とは犯罪のことであり、犯行に及ぶ1月もまえから頭の中はその事ばかりになっていたのである。
あるとき田舎の小さな町で子供のころに父親と一緒に向かったお祭りの夢を見ている。悪夢である。やせ細った雌馬を大勢の人が寄って集って殴る蹴るといったひどい夢である。
その悪夢から目覚めてすぐに≪おれはほんとうにあれをやって金を盗むつもりなのかっ≫と叫び、≪果たしてそんなことができるだろうか?≫とまた叫ぶのである。
そして無理矢理自問に対する自答をする≪あれがおれには堪えられぬことは、知っていたはずじゃないか≫ ≪神経がもたぬことを、とくとさとったはずではないか≫ ≪あれは卑しいことだ、下の下だと≫
こんなことは誰にも相談できないことであり、自己解決するほかないのであるが、ことが事だけに精神状態は非常に乱れ切っているのである。
この時に起こるのである。「悪魔の誘惑」である。「デジャブ」であり「運命の予言」ともいえる出来事である。普段行わないことをやってしまった後「あれっ?」っと思うことは誰しもあることだと思うのだが、ここでは「あれっ?」レベルの偶然ではないのである。
まず、すべての始まりは家路に向かう帰り道を、何の気なしにいつもと違う方向へ歩み進めることから始まる。殺害対象である「老婆」が、たまたま通りかかった広場で話し合う商人夫婦とある女の会話から、明日一人きりになる時間帯を知ってしまうのである。
その後たまたま立ち寄った飲食店で隣り合わせた一人の大学生と、若い士官の会話を耳にするのである。学生は「僕はあの呪われた老婆を殺害して、あり金を盗んだとしてもだ、僕は断じて、これっぽっちの良心の呵責も感じないな」と激しい口調で叫ぶのである。
「一つの生命を消すことによって 数千の生命が腐敗と堕落から救われる。一つの死と百の生命の交代 こんなことは算術の計算をするまでもなく明らかじゃないか!」
まさにラスコーリニコフが、ついさきほ先程までずっと頭の中で思い描いていたことを、目の前の学生が口に出して語ったのである。
自分一人の考えだけでは到底不安に飲み込まれてしまうものである。しかし、他に同意見の者がいることを知り、理路整然と偏りながらも正当と思わせるような事由を耳にすれば、もうこれ以上背中を押すものはないのである。
では、私たちの普段の生活において、このように同じような出来事と言うのは皆一様に起こりうるのか。また既に起こったことがあるのかについても記憶を遡ってみたいと思うのである。
家族・友人
そもそも火種となる事の発端は私が思うところ、母プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワからラスコーリニコフ宛に送られた一通の手紙からではないかと思う。
ラスコーリニコフがアパートを不在にしていた時、下宿先の女中ナスターシヤが郵便配達員へ3コペイカを立て替えて受け取った手紙である。彼はお茶とシチーを食べながらその手紙の差出人を確認する。
何といってもこの手紙の特徴は文面が長いことにある。かなり長い文章でつづられているのであるが、さらに内容がかなり重いのである。
≪おまえはわたしたちのたった一人の頼りです。わたしたちのすべてです。わたしたちのすべての願いと望みはお前ひとりに掛かっているのです≫≫
冒頭からこれでは、本人はたまったものではなかっただろう。次いでいきなりお金の話になり母プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワが毎回仕送りしていたお金は借金したものだと知らされるわけです。
さらに妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワが働きに出ていた先での苦労話におよび、ラスコーリニコフが仕送りしてもらった内の60ルーブルは妹がその職場で前借したお金だったと聞かされるのである。
雇い主であるアルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフは、妻を持つ一家の主でありながら、ラスコーリニコフの妹に恋心を抱き執拗に迫るのであるが、妻にその場を押さえられ逆鱗に触れるわけである。
誑かしているのが妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワと勘違いした雇い主の妻は、激高しながら妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワに手をあげ、屋敷から追い出すといった具合なわけである。
ラスコーリニコフからすれば、はじめ最愛の母からの嬉しい手紙であっただろう。しかし、もらった手紙がこのような内容であった場合、心の揺さぶりは想像に及ばないほどつらかったに違いない。
そして手紙の内容は一変して妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワの結婚話に移るのだが、母親の主観が前面に押し出されたような内容であり、結婚相手の印象はひどい者として映るのである。
さらには、妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワの結婚相手を救世主と呼び、神の思し召しと呼び、結婚後についても勝手で根拠のない空想に幸せを感じている母親がいるのである。
妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワの苦悩に蓋をし、結婚相手への一抹の不信感に蓋をし、それを察するであろう息子:ラスコーリニコフに事を起こさぬよう釘まで指すのである。
先述した学友であるドミートリイ・プロコーフィチ・ウラズミーヒンという青年は、並みはずれて陽気で隠し事のできぬ素朴でお人好しであり、ラスコーリニコフにとって大学内での唯一の友人である。
酒豪で腕力も威厳も持ち合わせており、なんといっても落ち込む前に行動するような印象であったため、周囲も一目置く人気者である。
特に犯行に及んだあとすぐラスコーリニコフはドミートリイ・プロコーフィチ・ウラズミーヒンの部屋を訪れており、ラスコーリニコフの体の異変に気付き脈まではかろうとする。
また、仕事も与えつつ金銭までも恩着せでなく賃金として渡してくれるのである。そんな彼は本編において終始ラスコーリニコフのそばに常にいるのである。
ラスコーリニコフが犯行後、侵され続けている熱病で4日間も寝込んでいた時に、知人の医者であるゾシーモフに診療を依頼した時も、突然ラスコーリニコフの部屋(船室)に妹の婚約者であるピョートル・ペトローヴィチ・ルージン訪れた時も寄り添っているのである。
さらには、ラスコーリニコフがこの度何の目的で母や妹と再会に至っているかを知り、仲裁役を一手に引き受けることになるのである。
それと同時期には、馬車にひかれて亡くなったマルメラードフの娘(連れ子)ソーフィア・セミョーノヴナ・マルメラードワが訪ねてきた時も。
これはいったい何を意味しているのか。家族以上の絆が自然に出来上がったものなのだろうか。ウラズミーヒンの身の上も決して裕福ではなく、彼もまた汲々とした日々の生活に追われる身である。
大学では妙に傲慢で何かを秘しかくしているように、誰とも交わらなかったラスコーリニコフに何かを重ねていたのか、あるいは何かを見出したのか。ウラズミーヒンを惹きつけているものは一体何なのだろうか。
まとめ
「愛するものを守りたい」、その一心から悲劇が始まったのではないだろうか。たくさんの愛情を頂くだけいただき、今度は自分が与える番だと思ってみても、何もできない無力な自分がいる。
愛する母には楽をさせてやりたい、愛する妹には幸せになってほしい、そう願っても現状は一向に変わらない。それどころか一向に良くなる兆しはない。
せめて支えあうことで、今のこの困窮地を乗り切ろとしても、自分には支えてやることすらできない、それどころか迷惑ばかりかけてしまうということで自暴自棄になってしまう。
すると本心とは裏腹に、愛するものを遠ざけてしまう。遠ざけられた側は訳が分からないため心配する。心配させていることが余計に申し訳なく思い、次第に苦痛になってゆく。
こういったことは大小さまざまではあるが、身の回りや自分自身に置き換えても、心当たりがあるのではないだろうか。
ただ、何をもって「不幸」であり、何をもって「幸せ」かと言ったことは心の持ちようだなどと軽々しく諭されるほど「心に余裕のある状態」ではないのである。
また、本書は読み手側の置かれている時代や環境、世代等の状況にいおいても、この物語は大きく見方が変わるのではないだろうか。
少なくとも主人公:ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフは、自身の欲望の赴くまま犯行には及んではいない。
ロシア帝国における当時の時代背景において、思想・政治・宗教などの違いから今の私において一概に同一視できるものではないのかもしれないが、「愛するものを守りたい」という真理は、いつの世にも絶対不変で変わることはないのだから。
冒頭にこの本と出合うきっかけとなった映画「ローレライ」のワンシーン「君はドストエフスキーの『罪と罰』を読んが事はあるかね」であるが、上巻だけではまだよく見えてこない。下巻でその真意を確認したい。
個人的な見解による「読書感想文」でしたが、少しでも興味が沸いた方がいらっしゃればとても嬉しく思います。
心を揺さぶられたオススメの一冊
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