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世界遺産 金閣寺


 

北山鹿苑禅寺

 

〒603-8361 京都府京都市北区金閣寺町1

過去にも何度か訪れたこともありますが、何度来ても天候や季節、時間帯で違った印象を与えてくれるのがここ金閣寺です。


1397年、約40000坪の敷地に権力の象徴として建てられたとされています。広大な敷地にも拘らず、その全景は森の中に隠れるように建てられています。総門をくぐって、さらに唐門をくぐっても見る事が出来ない、まさに隠れ家的です。

金閣寺は正式名称を北山鹿苑禅寺といい、室町幕府第三代将軍 足利義満により建立されたのですが、煌びやかな建築とは裏腹に、その歴史には闇が見え隠れしています。


京都御所内の清涼殿にて太政大臣となって以降、出家して征夷大将軍の職も後の第四代将軍足利義持に譲ってしまいます。なぜなら目指す目標が更に上だったからだとされています。


その目標とは「帝と同列に並ぶこと」現代風に言えば、自身も神になると言っても過言ではない目標です。


またそのためには家臣の一人であった室町幕府の武将で守護大名の大内義弘を、功績をあげすぎた危険人物とみなすと即座に討伐してしまいます。応永の乱

観阿弥世阿弥の猿楽能が一世風靡したのもこの時代です。トンチの一休僧侶も同時期に登場しています。戦国時代まででなくても結構豪華キャストの黄金時代です。


最終的には、帝を臣下である自身の屋敷に呼び出し、同列に着座し盛大な催しを開くなどして権力を誇示します。


一見すると、人生を謳歌したかのように見えてしまいますが、その後の歴史は大きく変化してゆきますね。

 

林承賢という徒弟僧

 

金閣寺は一度全焼しています。その際には足利義満の木造や観音菩薩像、阿弥陀如来像、地蔵尊、仏教教巻などの文化財がすべて焼失しています。


吃音に悩み、周りの人からバカにされ続ける現実。唯一成績が優秀で両親からは愛されていたそうですが、やがて進学にするにつれ成績は低迷し親の期待にこたえられなくなったため、自身を肯定するため世間と環境のせいにし始めたそうです。


きらめく金閣寺やそこに参拝する人々と、自分を照らし合わせた時、憎悪の念にかられて全てを燃やしてしまい症候群にはまってしまったのでしょうか。自身も自害を図りますが死にきれず、逮捕されて刑務所内で精神分裂症と結核に侵され若くして亡くなられたそうです。


こういった一面を知って金閣寺を見ると、なんだか複雑な気持ちになるのは私だけでしょうか。闇ですね闇。

現代でいう洗面台ですか。なんにでも凝るのはやはり権力の象徴ですね。歴史が物語ります。栄枯盛衰。

帰りに茶店で休憩したのですが、「花より団子」私にピッタリの言葉です。しかし、ただの団子じゃありません。団子もちゃんと凝ってます。冗談なしでめっちゃくちゃ旨い!店員さんと話してしまうくらい「このお団子めちゃくちゃ美味しいですね!」「ありがとうございます!」ハマりそうです。

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