日本三大稲荷
- 2019年6月13日
- 読了時間: 4分
更新日:6月7日
最上稲荷山 妙教寺 宿坊顕妙閣
岡山駅まで戻って、吉備線にて「備中高松」駅下車。やって来たのは「最上稲荷山妙教寺宿坊顕妙閣」です。
穀豊穣の神として「日本三大稲荷」と謳われているようです。「伏見稲荷大社(京都)」「豊川稲荷(愛知)」で三大とされます。
稲荷とは、稲が成る、稲が生えるから転じて稲荷となったそうだとか。

「最上稲荷山 妙教寺」は一般的な神社ではなく、日蓮宗系の寺院であるという点が大きな特徴です。
多くの人は「稲荷」と聞くと神社を思い浮かべます。しかし最上稲荷は、仏教寺院でありながら稲荷信仰を受け継ぐ全国でも極めて珍しい存在なのです。
その歴史は約1,200年前にまで遡ると伝えられており、平安時代初期の高僧である「報恩大師」がこの地で修行を行い、最上位経王大菩薩を祀ったことが始まりとされています。
最上位経王大菩薩は、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全、開運招福など、人々の現世利益を司る尊格として信仰されてきました。
そのため農業従事者だけでなく、商人や職人、経営者など幅広い層の信仰を集め、現在では年間数百万人もの参拝者が訪れる西日本有数の参拝地となっています。
また、お供え物としては比較的傷みにくい油揚げが重宝され、見事大収穫できた折には、その油揚げにお米を詰めて感謝したとか。稲荷寿司、これからは有難く頂こうと思います。
〒701-1331 岡山県岡山市北区高松稲荷
明治時代の神仏分離によって全国の多くの寺院から鳥居や稲荷信仰が切り離されましたが、特別に神仏習合の祭祀形態が許された仏教の流れを汲んでいる貴重な稲荷だそうです。
最上稲荷では現在も神道と仏教の文化が融合した独特の信仰形態を見ることができます。
最上稲荷の境内には、多くの参拝者が見過ごしてしまうかもしれない歴史の舞台があります。それが「宿坊」として長い歴史を持つ 最上稲荷山 妙教寺 宿坊顕妙閣 です。
宿坊とは、本来は寺院や神社に参拝する信者や修行者が宿泊するために設けられた施設を指します。
現代のホテルや旅館との違いは、単なる宿泊ではなく「信仰体験」が中心にあることです。
古くは徒歩で何日もかけて巡礼する人々がいました。遠方から寺社へ訪れる参拝者は日帰りできないため、寺院や神社の一角に設けられた宿坊に泊まり、翌朝の勤行や法要に参加していました。
今の人はホテルに「快適さ」を求めますが、宿坊に求められるものは「心を整える時間」です。豪華な設備や娯楽ではなく、自分自身と向き合うための空間がここにはあります。

心静かに祈りや修行に向き合うための宿坊としての役割を担ってる「最上稲荷山 妙教寺」ですが、その静謐な佇まいからは想像もできないほど、戦国時代の激動と深く結びついた場所でもあったのです。
高松城水攻め
時は1582年。天下統一を目前に控えた「織田信長」の命を受け、中国地方攻略の総大将として「羽柴秀吉」(後の豊臣秀吉)が備中へ進軍します。
当時、この地域は「毛利氏」と「織田軍」が激しく対峙する最前線でした。その中心となったのが、現在の岡山市北区に位置する「備中高松城跡」を巡る戦いです。
秀吉は戦況を見極めるため、周辺を一望できる高台に注目しました。そのひとつが最上稲荷のある龍王山一帯だったと伝えられています。
山上からは高松城周辺の平野部を広く見渡すことができ、敵味方の動きを把握するには絶好の位置でした。
軍勢の配置、補給路の確保、さらには有名な「高松城水攻め」の実行計画――そうした重要な軍略を練る場として、この地が利用されたと伝承されています。
眼下には毛利軍が籠もる高松城。遠くには敵味方の陣営から立ち上る炊煙。
地図も衛星写真もない時代、武将たちは山上から地形を読み取り、兵の動きを予測し、勝敗を左右する決断を下していました。

この最上稲荷の裏山を登ったところにこんな石碑がありました。豊臣秀吉がここに陣を置き、戦における戦略会議を行ったとされています。
そうです、軍師・官兵衛の秘策「備中高松城の水攻め」です。
境内を歩いたり、じっと目を閉じていると、現在の穏やかな空気の向こうに、かつて秀吉や家臣たちが戦局を語り合った声が聞こえてくるような感覚を覚えるかもしれません。
最上稲荷を訪れる際には、ぜひ足を止めて、この地に刻まれた四百年以上前のドラマに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
天下人への道を歩み始めた秀吉の決断が、この場所から生まれたのかもしれない――そんな想像が旅をいっそう奥深いものにしてくれるはずです。

実際登ってみると結構急こう配の山道を登ったところに陣取っています。車もない時代で登山用の靴もなく「草履」のまま重たい甲冑を背負った状態で突き進んでいたのかと想いを馳せざる得ません。
ここ周辺一帯に陣を敷き詰め、高松城攻略のための戦略を練っていたのだと想像するだけでハラハラしてくるのは私だけでしょうか。
関連記事

備前岡山城主:宇喜多秀家が軍旗に用いた「兒」






コメント