上杉神社で愛を語る
天地人
〒992-0052 山形県米沢市丸の内1丁目4−13
やって参りました。ここ山形県米沢市。第3の目的地「米沢城」跡です。跡地に建つ、上杉神社へ参拝させて頂きました。ここはとても静かで、敷地も広く、空気が澄んでいるように感じられました。
「義」を重んじ、「毘」の神に支えられた上杉謙信公の気配を少しでも感じられたらと、一歩ずつ敷地を踏みしめながらの参拝です。
堂々とした風格に圧倒させられたまま、暫くじっと眺めていました。その目は眼光鋭く、その奥にやさしさを兼ね揃えているように思います。
戦国の世であれば、こんな傍でまじまじと拝顔することは不可能どころか、恐ろしくて近づきがたいであろう事です。それはさておき。
謙信公の跡を継いだ、上杉景勝とその側近である直江兼続。大河ドラマでもその関係がわかります。兼続の才覚を見抜いた豊臣秀吉は、自分に仕えよとリクルートするよう迫ると「我主は、「義」を重んじ、「毘」の神に支えられた上杉謙信公の気配を少しでも感じられたらと、一歩ずつ敷地を踏みしめながらの参拝です。堂々とした風格に圧倒させられたまま、暫くじっと眺めていました。その目は眼光鋭く、その奥にやさしさを兼ね揃えているように思います。ただ一人」ときっぱり。
なかなかこうはいかなくないですか?中小企業の会社の一営業マンを、大企業の社長が直々にヘッドハンティングする。これをあっさりと断る。すごい。ただその先まで考えると、そう思わせるだけのものを持つ景勝がすごすぎるのかもしれません。
この奥に、上杉神社があります。
ご覧の通り、派手さはありません。
後に、領土を120万石から30万石に減らされてもなお、家臣を召し放つことなく貧困で困窮の中、堂々とした生き方を貫いた武将の生き様を思い浮かべてみていました。
すぐ傍に立つ春日神社 上杉謙信公が大和国の春日神社より分霊し、越後国の春日山城に建立したのち、藩転封に伴い、ここに移転。
日も暮れ始め、先程よりさらに静けさを増してきました。4月でも肌寒いですね。
あれ?この石碑は?なになに?伊達?伊達政宗?なぜここに?続きは別記事ででご紹介します。
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