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上杉神社で愛を語る

  • 2019年4月11日
  • 読了時間: 5分

更新日:1 日前


戦国の荒波が吹き荒れる時代――その中で、ひときわ異彩を放つ武将がいました。その名は、上杉謙信。


彼は単なる戦上手ではありません。“”を貫く生き様そのものが、後世に語り継がれる伝説となった人物です。


昨今のTV番組で「上司にしたい戦国武将」などでは、必ずといっていいほど上位にランキングされる、私も大好きな武士の一人です。


天地人


まず語らずにはいられないのが、宿命のライバル武田信玄との激突――川中島の戦い。

幾度にもわたり繰り広げられた死闘の中でも、第四次合戦はまさに伝説。霧が立ち込める早朝、謙信はわずかな供回りを引き連れ、敵本陣へ単騎で突撃します。


その瞬間――軍配を振るう信玄の前に、馬上の謙信が現れ、刀を振り下ろすやいなや、軍配でこれを受け止める信玄。


まるで時が止まったかのような一騎打ち。戦国史に刻まれたこの場面は、「戦とは何か」を私たちに問いかけてきます。


敵に塩を送る」という言葉はこの時生まれました。甲斐の武田の領土は海に面していなかったため、人の生存に必要な「」がなかなか手に入りませんでいた。


本来であれば「今ここ勝機あり」と総攻撃をかけておかしくない状況にもかかわらず、敵である信玄が塩不足で苦しんでいると知るや、「戦は武器で決するもの。兵糧攻めなど卑怯な真似はせぬ」と言い放ち、塩を送ったのです。


この行動にこそ、謙信の“義の心”が宿っています。勝つためだけの戦ではない。人として、武将として、誇りを守る戦いだったからです。


そんな彼の人柄を、現代に鮮やかによみがえらせたのが大河ドラマ「天地人」です。

作中では孤独と葛藤を抱えながらも「」を選び続ける存在として描かれています。一人山にこもるシーンは印象的です。


また家臣への深い愛情。弱き者への慈しみ。そして、自らに厳しくあり続ける強さ。ときに激情を見せながらも、その根底に流れるのは揺るぎない信念。


まさに、“人としてどう生きるべきか”を体現した武将――それが上杉謙信なのです。


〒992-0052 山形県米沢市丸の内1丁目4−13

石碑と鳥居がある神社の入り口。石碑に「上杉神社」と書かれ、背景には木々が広がる静かな雰囲気。

上杉神社

ということで予てより絶対行きたかった土地にやって参りました。ここ山形県米沢市。第3の目的地、上杉神社「米沢城」跡です。跡地に建つ、上杉神社へ参拝させて頂きました。ここはとても静かで、敷地も広く、空気が澄んでいるように感じられました。


」を重んじ、「」の神に支えられた上杉謙信公の気配を少しでも感じられたらと、一歩ずつ敷地を踏みしめながらの参拝です。


石造りの台座に座る武将の像。背景に木々と小さな東屋。旗には黒い紋章。灰色の寒空が広がり、静かな雰囲気。

堂々とした風格に圧倒させられたまま、暫くじっと眺めていました。その目は眼光鋭く、その奥にやさしさを兼ね揃えているように思います。


戦国の世であれば、こんな傍でまじまじと拝顔することは不可能どころか、恐ろしくて近づきがたいであろう事です。それはさておき。


天と地の立像。二人の武将が配置され、黒い石台に立つ。背景に建物と木々があり、看板には説明文が記載されている。

謙信公の跡を継いだ、「上杉景勝」とその側近である「直江兼続」大河ドラマでもその関係がわかります。


戦国の荒波に翻弄されながらも、決して揺るがぬ絆で結ばれた二人の男がいました。一人は寡黙にして重厚な大将、上杉景勝。そしてもう一人は、その影となり光となった名参謀、直江兼続。この主従の関係は、ただの「主君と家臣」関係だけでは語り尽くせません。


景勝は、多くを語らない寡黙な男でした。激情に走ることもなく、華々しく己を誇示することもない。しかし、その静けさの奥には、どんな嵐にも耐え抜く覚悟と器が宿っていました。その“沈黙の強さ”を誰よりも理解していたのが直江兼続です。


兼続は、言葉と知略を武器に時代を切り拓く男でした。外交、戦略、内政――どれを取っても一級品。ときに主君の意を汲み取り、ときに主君の代弁者となり、さらには主君の“未来”を先読みする。まるで、景勝の心をそのまま外に映し出した存在でした。


徳川家康に対して堂々と送りつけた「直江状」は、まさに兼続の知略と胆力の結晶。しかし、その大胆不敵な行動の裏には、絶対的な信頼がありました。


直江状とは、慶長5年(1600年)に上杉家の重臣・直江兼続が、徳川家康の側近・西笑承兌に送った返書。上杉の叛意(会津の軍備増強にて謀反を起こすのではないかと疑われる)を問う家康を皮肉と理論で批判した挑発的な内容です。


これにより家康は激怒し、関ヶ原の戦いへ繋がる「会津征伐」の口実になったとされる歴史的な書状のことです。


この主君ならば、どんな結果になろうとも受け止めてくれる」兼続は、景勝を信じていた。そして景勝もまた、兼続にすべてを託していたのです。


また、兼続の才覚を見抜いた豊臣秀吉は、自分に仕えよとリクルートするよう迫ると「我主は、ただ一人」ときっぱり。


なかなかこうはいかなくないでしょうか。中小企業の一営業マンを、大企業の社長が直々にヘッドハンティングする。これをあっさりと断る。すごい。ただその先まで考えると、そう思わせるだけのものを持つ景勝がすごすぎるのかもしれません。


木造の寺院の門、木々を背景に、狛犬の石像、紙灯籠には「上杉伯爵邸」の文字。静かな雰囲気で、桜の造花が飾られている。

この奥に、上杉神社があります。


苔むした屋根の伝統的な神社、木々に囲まれた静かな環境。境内の中央には長い石畳の道が伸びる。平和で荘厳な雰囲気。

ご覧の通り、派手さはありません。


後に、領土を120万石から30万石に減らされても、尚家臣を召し放つことなく貧困で困窮の中、堂々とした生き方を貫いた武将の生き様を思い浮かべてみていました。


杉林の中に石段を上がった先に神社の鳥居が立つ。夕暮れ時の穏やかな雰囲気。手前に案内板があり、文字が見える。

すぐ傍に立つ春日神社 上杉謙信公が大和国の春日神社より分霊し、越後国の春日山城に建立したのち、藩転封に伴い、ここに移転。


看板に「春日山林泉寺」と書かれた日本語の説明文が掲載。背景は緑の縁取り。内容は歴史や寺院について。

日も暮れ始め、先程よりさらに静けさを増してきました。4月でも肌寒いです。


石碑に「伊達政宗生誕の地」と刻まれた文字。背景は木や岩で囲まれた自然豊かな景色。歴史的な雰囲気が漂う。

あれ?この石碑は?なになに?伊達?伊達政宗?なぜここに?続きは別記事ででご紹介します。



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