top of page

成らぬは人のなさぬなりけり

  • 2019年4月11日
  • 読了時間: 6分

更新日:5月9日


上杉鷹山先生に「成る」について教えを乞う


石碑には「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」と刻まれている。背景は自然豊かな環境。

この言葉。皆さんよく耳にしますよね。実は、4行目以降がとても重要ではないかと思うのです。


江戸時代後期、日本には数多くの名君が存在しました。その中でも、今なお「理想のリーダー」として語り継がれている人物が「上杉鷹山」です。


出羽国米沢藩9代藩主であり山内上杉家25代当主。諱(いみな)「本名のこと」は初め勝興、後に治憲(はるのり)であり、鷹山(ようざん)は藩主隠居後の号です。また、幼名は松三郎だったそうです。


山形県・米沢の地で藩政改革を成し遂げた彼は、単なる“倹約の殿様”ではありません。人を思い、人を育て、未来を信じた改革者でした。


今回は、「為せば成る」そんな上杉鷹山の「人柄」と「教え」について、現代にも通じる視点で語ってみたいと思います。



18世紀中頃の米沢藩は深刻な財政危機に陥っていました。借財が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)に累積していました。


一方、石高が15万石(実高は約30万石)しかなく、会津120万石時代の家臣団6千人を召し抱えたまま、家臣も上杉家へ仕えることが誇りとして離れませんでした。


このため他藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高かったのです。次第に農民は疲弊し、家臣たちは士気を失っていきました。藩の財政は、もはや崩壊寸前だったと言われています。


そこへ17歳で養子として入ったのが上杉鷹山でした。普通なら、豪華な暮らしを維持し、責任を前任者へ押し付けることもできたでしょう。しかし鷹山は違いました。彼はまず、自らの生活を徹底的に質素にしたのです。


〒992-0052 山形県米沢市丸の内1丁目4−13


まず自分がやる

上杉鷹山の魅力は、何よりも“率先垂範”にあります。「まず自分がやる」という人柄の持ち主でした。


倹約を命じる前に、まずは自分が粗食を食べる。贅沢を禁じる前に、自分が贅沢をやめる。衣服は木綿。食事は一汁一菜。奥女中の数まで減らしました。


改革というものは、上から命令するだけでは人は動きません。しかし、「殿様がそこまでやるなら、自分たちも」と人々は心を動かされていったのです。


現代で言えば、社員に残業削減を命じながら経営陣だけ豪華接待をしている会社は信頼されません。鷹山はその逆でした。だからこそ多くの家臣が彼を支えたのです。


冬の木々を背景にした銅像が、指をさしながら威厳を示す。台座には「上杉鷹山公之像」と刻まれている。

江戸中期 出羽国米沢藩9代目藩主 上杉鷹山(うえすぎようざん)公の像です。鷹山公によって領地返上の窮地から米沢藩を再生させた方です。質素倹約の祖です。


上杉鷹山には「民の父母になる」という思想が根底にありました。鷹山は、政治とは支配ではなく“奉仕”だと考えていたのです。


彼の有名な言葉に、「国(藩)は人民のためにある」という思想があります。


江戸時代の封建社会で、この考え方は非常に先進的でした。彼は農業振興を進め、産業を育て、教育にも力を入れます。特に藩校である興譲館を重視し「人を育てること」が藩の未来だと考えました。


これは現代企業にも通じることです。短期利益だけでは組織は絶対続かないからこそ、人材育成が未来への投資なのだと分かっていたのです。


黒い石碑に左から縦書きの日本語が刻まれている。背景は曇り空で、反射している手が見える。静かな雰囲気が漂う。

受けつぎて 国のつかさの身となれば 忘るまじきは 民の父母


これは、養子として迎えられ、米沢藩の藩主となったが、藩主の決意として絶対忘れてはならぬことは、民を自身の子として、我が子をおもう父母の立場で藩の政を司らなければならない、と言う彼の思想を現したものです。


上杉鷹山といえば、あまりにも有名な言葉がありますね。


なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人のなさぬなりけり


この言葉は「努力すれば必ず成功する」という精神論として語られがちですが、鷹山の本質は少し違います。


彼は、“不可能に見えることでも、知恵と工夫と継続で道は開ける”と信じていたのです。


実際、米沢藩改革は一朝一夕ではありませんでした。反発もありました。失敗もありました。それでも鷹山は諦めなかったのです。


つまりこの言葉は「根性論」ではなく、“責任を持って行動し続ける覚悟”を説いているというわけです。


黒い石板に日本語の詩が刻まれた画像。石板は苔のある灰色の壁に固定。静かな雰囲気が漂う屋外の場面。

家訓

上杉謙信公にも家訓があり、石碑に刻まれていました。

一、心にものなき時は心広く体泰なり

  (物欲がなければ、心はゆったりとし、体はさわやかである)

一、心に我儘なき時は愛敬失わず

  (気ままな振舞いがなければ、愛嬌を失わない)

一、心に欲なき時は義理を行う

  (無欲であれば、正しい行い、良識な判断ができる)

一、心に私なき時は疑うことなし

  (私心がなければ他人を疑うことがない)

一、心に驕りなき時は人を救う

  (驕り高ぶる心がなければ、はじめて人を諭し教えられる)

一、心に誤りなき時は人を畏れず

  (心にやましい事がなければ、人を畏れない)

一、心に邪見なき時は人を育つる

  (間違った見方がなければ、人が従ってくる)

一、心に貧りなき時は人に諂うことなし

  (貪欲な気持ちがなければ、おべっかを使う必要がない)

一、心に怒りなき時は言葉和やかなり

  (おだやかな心である時は、言葉遣いもやわらかである)

一、心に堪忍ある時は事を調う

  (忍耐すれば何事も成就する)

一、心に曇りなき時は心静かなり

  (心がすがすがしい時は、人に対しても穏やかである)

一、心に勇みある時は悔やむことなし

  (勇気を持っておこなえば、悔やむことはない)

一、心賤しからざる時は願い好まず

  (心が豊かであれば、無理な願い事をしない)

一、心に孝行ある時は忠節厚し

  (孝行の心があれば忠節心が深い)

一、心に自慢なき時は人の善をしり

  (うぬぼれない時は、人の長所や良さがわかる)

一、心に迷いなき時は人を咎めず

  (しっかりした信念があれば、人を咎めだてしない)

石灯籠が立ち並ぶ橋の上、白い旗が風に揺れる。周囲には枯れ木が多く、夕暮れの空が広がる静かな風景。

なかなか覚えるだけでも大変な感じがしますね。こうして一文字一文字ブログに打ち込んでいると「なるほど、そうだな」って思う節を感じ取ることはできたように思えます。


結論から申し上げさせていただけるのであれば、この世の全ては「心の在り方」に寄るのだと教えて頂いたと思うのです。ありがとうございます。


上杉鷹山は、奇跡を起こした人物ではありません。むしろ「自分を律し」・「人を大切にし」・「小さな改善を継続し」・「最後まで諦めなかった」その積み重ねによって、破綻寸前だった米沢藩を再生したのです。


華やかで伝説的な英雄物語ではないからこそ、現代を生きる私たちにリアルに響くと思います。今、もし何かに行き詰まっているなら、組織や人生の立て直しに悩んでいるなら、上杉鷹山の言葉は静かに背中を押してくれるかもしれません。


「なせば成る」――その一歩を、まず自分から始めよう。


名残惜しいですが、そろそろ退却いたします。



関連記事

雪が降る山道を車が走行中。道路は曲がりくねり、背景には雪に覆われた山々が見える。曇った空の下、冬らしい景色。

東北のホワイトアウトを経験


コメント


特集記事
アーカイブ
タグ

レガシーホームスタイル株式会社

〒661-0965 兵庫県尼崎市次屋二丁目17-15 1階 amagasaki-hyogo-japan

TEL:06(4950)0874
FAX:06(4950)0873
bottom of page